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”大丈夫だった”という現実

2022年7月3日(日) くもり
曇天。陽射しがないぶん暑さはやわらいでいるが、湿度が高くてスッキリしない。壊れたエアコンから漏れるように、ポタポタと小雨が降っている。昨日の午後は強烈な眠気に襲われて、目が覚めたあともしばらく動けなかった。低気圧。さっきまで楽しみだったことのすべてが、やらなきゃいけないことリストに放り込まれる。並行する記憶のラインがスイッチして、嫌な思い出ばかりが蘇る。梅雨明けなんて、誰かの宣言なんて、なんの意味もない。

憂鬱な5月、慌ただしい6月を乗り切るなかで、「はやくカウンセリングに行きたい」「この状況や感覚を先生に話して整理しておきたい」と思うことも何度かあった。次の予約を待たずに電話することもできるけれど、その代わりに俺は書いた。日記帳を使って、iPhoneのメモを使って、Twitterの下書きを使って、noteを使って、自分の感覚を代謝させていく。良かったことも悪かったことも、安心して忘れるために。おつかれさま、と自分の肩を叩くようにノートを閉じる。その瞬間にこれまでのことがすべて過去になるような気がする。もう思い出さなくていいのだ、と。

だから、いざカウンセリングの日がやってくると何の話をすればいいかすっかり忘れてしまう。この一ヶ月、なにが嬉しくてなにが悲しかったか。それでも先生の前に座って、いま自分がどんな状態かを伝えてみる。いまは天気も悪くて調子良くないですけど、それなりに落ち着いて過ごしています。そして、卓上カレンダーを眺めながら思いついたことを順番に話していく。おそらく、どんなに準備をしてもしなくても、どんなに些細な話題からスタートしても、辿りつくのは同じ場所なのだろう。

6月はライヴがふたつあった。6月19日は自分で企画した弾き語りのライヴ。6月23日はサポートでギターを弾いているバンドのライヴ。ここ数年でもっとも慌ただしいペースで活動することとなり、楽しみと不安が入り混じっていた。乗り切れるだろうか。気づかないうちに無理をしてまた鬱になるんじゃないだろうか。決意によって駆け抜けるよりも、何度も立ち止まって進んでいきたい。一人でそれをやるのは限界があるから、最近はカウンセリングの間隔を短くしている。そして待ちに待ったその日が今日だった。

辿りつくのは同じ場所。それがどこかと言えば、「大脳辺縁系」である。乗り切れるだろうか、鬱になるんじゃないだろうか、嫌われるんじゃないだろうか、失敗して取り返しのつかないことになるんじゃないだろうか。俺が自分で”感じていた”と思っていたことのすべてが、大脳辺縁系の反応に過ぎないとしたら?現実にそぐわない恐怖に脅え、意味のない対策を練り続けているとしたら?

6月のライヴはどちらもうまくいった。楽しかった。だけど、”うまくいったから大丈夫だった”と結論づけるならそれもまた回避に陥っている。いったいなにから逃げているのか。それは、”うまくいかなくても大丈夫だった”という現実からである。乗り切れなかったとしても、鬱になっても、嫌われても、俺の生活は何も変わらない。失敗しても、取り返しのつかないことなんてそうそうない。あるとすれば命に関わることだが、その恐怖は俺が生きている現実とかけ離れている。
しかし、その恐怖がさも妥当であるかのように感じさせるのが大脳辺縁系のリアリティなのだ。食うか食われるかの世界において、それに従ってもらわなければ命を落とすかもしれないのだから。そう簡単に疑ってもらっては困る。そしてHSP(High Sensitive Person)はこの電気信号を敏感に受け取りながら生きる宿命を背負っている。耐えろ。俺たちは耐えなければならない。だけど、苦痛に耐えるんじゃない。”大丈夫だった”という現実に耐えるのだ。ときには平穏に対して、安心に対して耐えろ。

こうやって書くと苦しいことばかりのように見えるかもしれないけれど、そうでもない。俺たちは不安や恐怖を強く感じる宿命を背負っているが、それと同じくらい喜びや感動に開かれている。だから俺は、不安でも手を伸ばさずにいられない。怖くても他人を求めずにいられない。会いたい。出会いたい。もっと。そのために必要なものもわかってきた。その響きはとても幼くて、誰もが早く忘れてしまいたがっているのかもしれない。その話は今度直接会ったときに。

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