見出し画像

ダイアリー2

2022年9月5日。窓の外ではアサガオが、ひと通り咲き疲れてうなだれている。葉っぱも黄色く、少なくなってきたし、もう夏も終わりなんだなって思う。ベランダから見下ろす先には、通学路を小学生たちが歩いている。帰り道にはあんなににぎやかなのに、朝の彼らは思ったよりも静かなものだ。ところで俺は8月9日から39℃近い発熱があって、10日間の自宅療養を余儀なくされたのだった。体調の不安をさておけば、気ままに本を読んで楽しい生活だったな。嗅覚も季節感も失って、いつのまにか9月になっていた。8月28日にはおばあちゃんの、母親の母親の命日があった。おじいちゃんおばあちゃんが育てていた葡萄の木は、今年もたくさんの実をつけていたのだろうか。プラごみを捨てるために外に出たら、ふっとお線香の匂いがしたような気がして、なんだかお墓参りに行きたいな。昨日母親からLINEがあった。もう一人のおばあちゃんが、父親の母親が亡くなったと聞いた。父親がそのことをどう受け止めるのか俺にはもう知る由もないけれど。カレンダーは誰かの命日ばっかりだ。俺は1000年前から変わっていないような、風景のなかに紛れ込みたい。苔むした岩。腐りかけた葉っぱ。ぬかるんだ土。むき出しの根っこ。転ばないように気をつけて歩きたい。息を切らしたい。耳をすませたい。 GPSから逃れて一人になりたい。一人になって、そのときに感じたことを、誰かに話したい。あなたに話したい。

村人の永住の地を去らんとする者と
かりそめに入りこみたる旅人と
またかの悠々たる霊山とを
黄昏は徐に来たりて包容し尽したり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?