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2月の春

 今日から2月。まるで春が来たかのように暖かい日だ。気温は15℃を超え、桜が咲く頃の陽気だと天気予報士が伝えている。思い出すのは大学一年の終わり頃、ちょうど似たような2月の春の日のことだ。

 大学一年の初めに鬱になった俺は、鎌倉の心療内科に通って向精神薬を飲みながら生活していた。いくつかの授業を諦めただけで、案外単位を落とすことなく前期を修了することができたのはこれもまた鬱になるほどの真面目さゆえだろうと思う。一方で、気持ちが追い付かないまま無理矢理に始めたファミリーレストランのアルバイトは、そのメニューを覚えられないことの絶望感に襲われてたったの一日で辞めてしまった。そのとき採用してくれた女性の店長に、「社会に出たらこんなことしちゃだめだよ」と呆れたように諭されたのを覚えている。
 アルバイトを諦め、しかし青春を謳歌する精神状態も保てないまま、ゾンビさながらただ授業に出ているだけなら大学生活も退屈なものだ。いくらか症状も安定した頃、母親から今のうちに運転免許をとっておくように勧められて、どこにそんなお金があったのか知らない、お年玉か何かを貯めていた口座から30万円を引き落とした。AT限定を選んだのは少しでも費用を抑えるためだ。まだ鬱の余波が鎮まりきらないうちの自動車学校はそれもなかなか強烈なストレスだったが、ここでも根が悲しいほど真面目にできている俺は、効果測定も卒検も順調にクリアしてしまった。
 そうこうしているうちに大学一年の後期も修了を迎え、大学生特有の長い春休みがやってきた。ゾンビ状態とはいえ授業までなくなるとさすがにヒマを感じることとなり、もう一度気を取り直して何かアルバイトを始めようと思った。その動機の半分はもちろん、自分が親の金でのうのうと暮らしていることの罪悪感をわずかでも払拭するためだったかもしれないが。

 継続的なアルバイトは高校時代のマクドナルドしか経験したことがなかったから、それを強みとして自ずと飲食店に候補を絞っていたところもあったが、牛丼屋の面接は怖気付いてキャンセルしてしまったし、合格したファミリーレストランさえも一日で辞めてしまった。まだ18歳だった自分にとって、その挫折はあまりに深い傷を残した。もう飲食店では働かない。調理はしない。ついでにいつか一人暮らしを初めても自炊はしない。そう心に決めた。
 いま思えばそれはそれで賢明な判断で、単純に飲食店が自分に向いていなかったというか、そこまで関心のあることでもなかったのだ。むしろ、金を稼ぐためには関心のないことに従事しなければならないと思い詰めていた節もある。鬱をきっかけにして過剰適応の暴走に歯止めがかかり、傷心のなかで別の選択肢を探っていく結果となったのはある意味で健全だった。
 そして、自分を苦しめるような規範意識、こうすべきだ、こうしなきゃいけないという自縄自縛からいったん解放されたうえで、ぼんやりとした憧れに従って目星をつけたのが四つ。それは花屋、本屋、豆腐屋、パン屋であった。なんとなく、"〇〇屋さん"というように、さん付けで呼ばれるような仕事がしたいと思ったのだ。穏やかに時間が過ぎ、どこか親しみの感じられる仕事がしかった。花の名前はほとんど知らなかったが、働きながら詳しくなっていけることが一挙両得だと思った。豆腐屋とパン屋に関しては、飲食店というよりは職人仕事のようなイメージを持っていたし、朝型の勤務体制が自分に合っているような気がしたのである。とはいえこれらの求人が都合よく出ているとは限らなかったので、実際に街を歩いたりタウンワークを調べたりした。そして結果的に応募したのは地元のダイエーの、3階の奥まった一角で営業されていた小さな書店である。

 幼い頃から漫画が好きだった俺は、もちろん本屋には格別の親しみを感じていた。ただ、こういった文化的な業種は狭き門というか、学生身分がへらへらとシフト調整しながら働けるような仕事ではないと思っていた。そこで提示されるがままにフルタイムの週3日とか、4時間だけど週5日で土日は必ず出勤とか、そういう条件を飲み込んだらきっとまた鬱になってしまうだろう。それだけは絶対に避けたかったのでこちらの希望はしっかりと提示しなければ。だけれどこちらの希望を受け入れられなかった場合、憧れの書店販売員として不採用を喰らうのはそれはそれで自身の価値が根本から損なわれるような恐怖があった。
 ここでの面接相手もまた、自分より一回りくらい年上だと思われる女性の店長だった。その人はテキパキというか、言葉の初速が早く妙にカラッとした雰囲気があって、子どもじみた俺が抱える鬱々や卑屈さには我関せずという印象があった。その、ある意味でマシーン的な応対に救われた部分もあったのかもしれない。好かれるとか嫌われるとかではなく、働けるかどうかが問題なのである。
 感触はさほど悪くなかったが、さすがに面接の場で即決されるようなことはなかったはずだ。だから俺がいま思い出しているのは、後日に採用の電話を受けて、あらためて事務所で契約手続きを済ませたその帰り道のことだと思う。ついでに昼シフトで働く数人のスタッフに挨拶し、彼らと同じエプロンが自分にも支給された。週3日、夕方17時半から21時半までのシフトなら、春休みが終わって授業が始まってもなんとかやっていけるだろう。ファミリーレストランを1日で辞めたときのように惨めな気持ちを味わうこともきっとない。本屋さんで働ける。そのことが単純に嬉しかった。2月もまだ半ばだったと思うが、その日は春みたいに暖かくて、風が吹いていて、今日から自分は新しく生きていけるのだという予感のなかにいた。

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