見出し画像

「アベンジャーズ」に競技用プール分くらい冷や水をかける映画「ジョーカー」

世はポリコレ時代。そしてネタバレ時代(この記事はネタバレを含みます)。
そんな2010年代の終わりに、変わろうとしている価値観をあざ笑うかのように出現した問題作。

タクシードライバーとキング・オブ・コメディを背景に経由しつつ、筋道はシンプル。主人公に貧困、暴力、劣悪な家庭環境、精神的な病、妄想など、もがけばもがくほど次々に困難が襲いかかります。そしてその先にある暴力、狂気を美しく、壮絶に描きます。

しかし見ていて動揺するのは、それら主人公の問題が悪事をすることに影響していく様子に、見ている自分が、「え、これ貧困、特に精神的な問題を抱える人は犯罪に走るっていう偏見を助長してるとみなされちゃうんじゃ・・・」という物語そのものではなく、この映画が与える影響の心配を、なぜかしてしまうことです。最後にデ・ニーロと対峙したときにわりとその辺を指摘されても、ジョーカーはデ・ニーロの頭を撃ち抜いてしまいます。
さらに出演することで映画の質を二段も三段も上げてしまうホアキン・フェニックスの素晴らしさ、格好良さが暴力の説得力を増していきます。

もちろん映画なので、犯罪者が悪事を働く物語はよくあるジャンルです。ただこの映画に関しては、現在の貧困、メンタル的な問題など、最近の映画では欠かせない要素をこれみよがしに配置して、他人事にはさせてくれません。最後の暴動シーンなど、現実の世界を反映させてるようにしか見えない。おそらく観客を挑発する意図があるのではないでしょうか。

そしてこの映画を見ている自分が動揺する様子は、世界でどんどん進む様々な分断に、ただそのニュースを見ることしかできない時のようです。つまり、この映画を見て動揺するのは、アメコミのキャラクターの実写化という、現実離れしてもおかしくない題材のこの映画の中に、現実社会の矛盾、解決困難な問題、ポリコレの限界がダイレクトに含まれているから、なのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?