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ストック好きだった亡き母の話

13年前に他界した母は、トイレットペーパーや箱ティッシュ、シャンプーなど、2つ以上ストックしておく人だった。

母が亡くなってしばらく経ち、姉妹3人で実家を片付けた。そのとき、キッチンの収納スペースから食器用スポンジが20個ほど出てきた。

せめて3つとかでもいいんじゃない?一人暮らしなのにどれだけ食べる気なんだ、とみんなで笑ったっけ。

64歳で亡くなった母は、長い間、糖尿病を患っていた。実家がある場所は、歩いていける距離にスーパーやコンビニもない、ちょっとした田舎だ。

私たち姉妹が幼い頃、草やぶから何かに見られている気がしてチラ見すると、鹿と目が合った。

その鹿は近くの小学校に出没し、みんなに「ハヤオ」と名付けられた。足が速かったからね。

その「ハヤオ」目的で、当時放送されていた「ズームイン朝」が取材にきたこともある。都会からこんな田舎に撮影にくるなんて、ほかにニュースはないのか。今となって考えると、なんと平和な時代だったんだろう。

それほどの田舎にひとりで住んでいた母のことを、当時の私はなんにも分かってなかったな。

なかなか買い物に行けない不便さ。低血糖を起こしていつ救急車で運ばれるか分からない病気に対する不安。一人暮らしの気楽さと孤独感。動くのもしんどいくらい、体調が悪かったこともあるだろう。

ただストックしておきたいだけでなく、いろんな要因が絡み合ってモノを買い込んでいたのかもしれない。


そんな母が住んでいた家には、いまだに少しの荷物が残っている。

3月に帰省したとき、姉たちと片付けに行ってみた。

私はモノを溜め込むのがニガテ。なんでも捨てたくなってしまう性分なので、ろくに中身を見もせずにゴミ袋に入れていく。

姉ふたりは捨てられないタイプ。出てくる写真や、自分たちが幼稚園時代に描いた作品を見つけては「なにこれ〜」「あーこんなことあったね〜」とワイワイやっている。

早く終わらせようよ〜、とドライな私は片っ端から袋につめ込む。

母は、どんな想いで何年も捨てずに残しておいたんだろうか。こうして姉たちがワイワイしてるのを、こっそり上から見ていたりして。

もしかすると、なかなか会える機会がないからって、家族が集まるキッカケを残してくれたのかもしれないな。

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