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ビジネスも恋愛も、 肝心なのは会話力。 「中身で勝負だ」 などと言ってみても、 それは相手に伝わらない。 しっかりと伝えるためには、 何度も何度も プレゼントークを予習すること。 すなわち、絵に描いてみること。 さらに、 会話には“オチ”を作ること。 決めの言葉。 途中失敗しても、オチが決まれば、 感動させることはできる。 何度もオチを絵に描いてみることだ。
ボーッとネットサーフィンなど、 してはならない。 ネットをするなら、 富をもたらす使い・白蛇を探せ。 すなわち、金儲けの種である。 隅をつついていれば、 思わぬ情報が飛び出すかもしれぬ。
お金に困って祈る時も 賽銭を取られる。 祈ってもうまく行かない時は、 「神の与えた試練だ」と言われる。 神に頼る時間があるなら、働け。 信じるべきは、己である。
行く先々には、 己の煩悩と同じ数だけ、 試練があると思え。 それを超えて行くのも 素晴らしい人生だが、 煩悩の数を減らし、 試練を少なくするのも、 また人生なり。
ツリーハウスのごとく、 少し不安定な木の上に建てた家は、 見晴らしも良く、 その緊張感ゆえに楽しくもある。 しかし、 地に足をつけた生き方をするなら、 地盤のしっかりした土地の上に 家を建てるべき。 これは、生き方の話である。
自分のスタイルを貫くことは尊い。 だが、荒野にあって、 動きにくいスタイルを守るのは、 愚か者である。 その場所に合った スタイルを知るべし。 それが賢者というものだ。
追従する者、 遅れをとる者を待つ必要はない。 その優しさが仇となる。 まだ来ないと 余裕を持つこともならぬ。 力を抜かず、前に進むべし。 ダントツにならなければ、 いつか抜かれてしまう。
眼の前に大きな木があるなら、 何も考えずに登ってみることだ。 登って何になる、 怪我をするかもしれない、 と考えているようでは、 何も発見できない。 その木に登ることで、 進むべき道が見えるかもしれない。 宝を見つけるかもしれない。 登る勇気を持っていた自分に 驚くかもしれない。 理屈などいらぬ。 登ってみよ。
私は貧乏だ、どうせダメだ、 何もできない。 そう思っている人には、 眼の前にチャンスが来ていても、 見えないものだ。 明日はいい日かもしれないと、 夢見る人にはチャンスが見える。 諦めなければ、 小さなチャンスも見逃すことはない。 人には平等にチャンスがある。 見えるか見えないか、ただそれだけ。
意見が合わない。気が合わない。 だから、話の真意も伝わらない。 そんな時は、相手にチューをする。 もちろん、心の中で。 そう思った瞬間、 心が笑って余裕が生まれる。 相手を受け入れる準備ができる。
腹八分目にしておけば、 腹をこわすこともなく、 医者にも掛からないと言う。 何でもほどほどにしておけば、 人生の敗者になることはないが、 成功することもない。 時には、満腹になるまで やってみなければ いけないこともある。 腹がはち切れるまで、 やってみるべき。
物事のすべては、 畑づくりから始まる。 種を蒔く前にやるべきことだ。 土壌が整っていなければ、 どんなに珍しい種を蒔いても、 成長させるのは難しい。 どこにでも蒔けば良い というものでもない。 まずは開拓からだ。
スカッと晴れた日は、 気持ちが良いものだ。 だが、それが続くと いろんな支障が出てくる。 時には雨も降らなければ、 作物は育たない。 動物も生きてはいけぬ。 人生には さまざまな天気があるものだ。 それがなければ、人も育たない。
少しでも暇があるなら、本を読め。 文字が苦手なら、図鑑を眺めろ。 眼から入る知識は身につきやすい。 それは、いずれ教養となる。 物知りは賢く見えるものだ。 人は見ためが9割と言う。