執筆者の素養
もの書きには「素養」は不可欠だと思っている。それは生まれつき誰もが持っている素(もと)が、生育環境や成長過程で養われてきたものの発露だ。
本稿では私の周囲にいる、そんな人物お三方を紹介したい。
ご存知の方も多いのではなかろうか。露出の多いメディアでの記事執筆は多数。コミュニケーションの研究にもとづく執筆を得意とし、大学での講座も持つ。
さまざまな職業を経て経営者となった、振れ幅の大きい経歴は彼女の執筆の源泉だ。
次のこの方も経営者ではあるが、執筆そのものは生業ではない。
あえて例えるなら趣味人だろう。ご自身の事業のみならず衣食住遊も徹底的に追求しておられたのが目に止まり、著名メディアでの執筆に至っている。
締めくくりに、「執筆一本」という方も見てみよう。
彼は出版分野に始まり米国のケーブルテレビ、インターネット勃興期からメディアワーク一筋だ。米国滞在時代には「9.11同時多発テロ」から危うく難を逃れている。
現在は本名とペンネームを巧みに使い分け多方面に記事を提供し、また時には名を隠しメディアを育てる黒子に徹することもある。
いかがだろうか。お三方に共通するのは単なる経験や、その積み重ねではなく、
「突出した体験、突出した趣味」
が見てとれる。それらを基底に執筆しているのだ。では、そんな体験や趣味がなければ執筆者たる資格もないのか。志すこともできないのか。
答えは「否」だ。
突飛な体験をしてみたい、好きなことに向かってまっしぐらに突き進んでいる自分を想像してみるといい。そこで浮かんできたものも素養だ。
【PR】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?