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「宇宙人ゾーフィ」はなぜ生まれたか 【enta】

空想特撮映画「シン・ウルトラマン」に早くから登場が予想されていたゾフィー。ゾーフィと名を変え意外な設定での登場は驚きを持って迎えられたことだろう。

シン・ウルトラマンは、ウルトラマンに影響を受けた世代なら誰もが経験したであろう「ボクのかんがえたウルトラマン」を、プロになったボクらの仲間が作っちゃった映画だ(かく言う私も、8ミリカメラでアニメと特撮のハイブリッドで「ウルトラセブン」を作ったことがある)。そこには1966年の初回放映から積み重ねられた小ネタが、ここぞとばかりに散りばめられている。

その一つが「宇宙人ゾーフィ」の設定だ。

ゾフィーの記述を誤った当時の出版物

イラストに関してのみならこれはマトモな方だ。他社では後のウルトラマンA(1972)に雰囲気の近いものや、とてもプロの仕事とは思えないものもあったと記憶している。
唯一の救いは、ファンの間では長らく語られていた「ゾフィーのトサカ(頭頂から正中の装飾)は黒だった」というのを実証する補完資料となったことぐらいか。
実作品では判別のしづらい黒いトサカが描かれていることから、少なくともキャラクター写真は配布されたものと思われる。

で、この宇宙人ゾーフィの記述。ざっくり言うとシン・ウルトラマンに登場する光の星の裁定者ゾーフィの設定に取り込まれているわけだが、後にゼットン星人と名付けられる謎の宇宙人とゴチャマゼになっている。

なんでこんなマチガイが!?

最初に私が思ったのは

『ジャリ向けの本の仕事なんざテキトーでよかろ?』

という編集者のマインドにあったのではないかということ。
文化を担うつもりで入った出版社で、やらされている仕事ときたらガキンチョ向けの本。意識高い編集者氏のテンションは低空飛行、資料にはロクに目を通すことなく光の国の使いと謎の侵略宇宙人がひとまとめに脳内編集されてしまったと、まず考えた。

だが、

だとすると一つ疑問が残る。なぜにこうも、複数の書籍で誤記が生じたのか。それは2016年に判明する。

円谷プロ発の一次資料そのものに誤りがあったのだ。

当時の作品設定の管理はあまり重視されず、円谷プロ出入りのフリー編集者によるキャラクター設定が公式化していた傾向がある。新作の放映の途絶えていた第二次ウルトラブーム前夜、出版社などから求められた際には、その限りなく私家版に近い設定資料が配布(有償)されていたとのことだ。円谷プロ本体がその設定内容のチェックをしていなかったのは、1970年頃までに出版された怪獣図鑑等の書籍に実作品とは異なるストーリーが紹介されていたことからも明らかだ。
つまり限りなく内部に近いところの資料編纂者のところで既に先述同様の

『ジャリ番組の仕事なんざテキトーでよかろ?』

という劣化作業が生じていたのではないかとも考えられる。

いかに円谷プロの作家たちが子供たちに向けて高邁なテーマを理解しやすくインクルードしてウルトラマンを製作していたとしても、当時の世間の認識は「所詮ジャリ番」でしかなかったはずだ。
そう考えれば、宇宙人ゾーフィは大人たちの手抜きから生まれた、と言えるのではないかと考える次第である。

1971年「帰ってきたウルトラマン」の放映以降、ウルトラマンのメディアでの扱いは講談社から小学館に主導権が移る。学年別学習誌では独自のウルトラマン記事が巻頭を飾り、コミカライズ作品が連載された。
小学館は社内にウルトラマン専従チームを設け、ウルトラマン最終回に登場したゾフィーを長兄とするウルトラ兄弟という設定を創作する。それは実作品にも反映され、第二次ウルトラブームの原動力となる。
この時代に小学館の生んだ設定は、これまた「シン・ウルトラマン」にも落とし込まれているので、ぜひ作品で確認いただきたい。



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