見出し画像

不治の個性が必殺技を作る

必殺技を持つアーティスト

不可解なことがある。
郷ひろみの「ジャケット返し」とはなんの意味があるのだろうか。
脱ぐのか、脱がないのか。暑いのか、寒いのか。

否、「ジャパーン」という嘶きとともに炸裂するそれは”必殺技”なのだ。

マイケルの「ポゥ!」も、フレディのタンクトップも、一般人が唐突にやるとすれば職質案件となるが、彼らが満を持して披露するそれは圧倒的なステージパフォーマンスとなって人々を魅了する。
なぜそこまで目を引き付けるのか、それは純度が高いからだ。
交じりっ気のない個性、物心ついた頃から色濃く色濃く凝縮された癖が、長い時間の煮込み作業によって、すさまじいアクになる。
辛い、でかい、濃い クセになる味は突き抜けたものばかり。パンチ力が違うのだ。
そうなるともうそれでないと気が済まない、時間と個性がかけ合わさっているので、容易にたどり着ける距離、情報量じゃないのだ。

リハーサルでも120%でジャパーン!ハアァアァーッ!と爆発するらしい。
何万回同じ歌を歌ってるのだろうか。

器が違う、というか、覚悟も心意気も次元が違う、なおかつそもそも歌うことそれ自体を愛していて繰り返せる量が違うのだ。
65歳の今もボイストレーニングも怠らない。
個性としての純度が違うから、彼の全力はたとえどんなヘンテコな振付をされてもファンは狂喜するのだ。

ブランディングの本質

ブランディングとはなんだろうか、の手前にブランドというものを掘り下げたい。
ブランドというのは所属である。
シャネルを身に纏うという姿勢の所属。フェラーリを持つという己のスタイルの所属。郷ひろみのディナーショーに行くという心の所属。
これらのブランドには思想があり、とんがりがある。
シャネルは女性性の解放だ。フェラーリは早く美しい機能美の象徴だ。沢山の人が愛好し、想いが擦り続けられて研磨されて不動のブランドになる。
練りに練りこまれているので複製も難しければ、広告も打たないプライドがある。それが値崩れを防ぎ、資産となる。
ジャンクフードは消費であり、オーガニックは投資だ。
本当のブランディングとは、このとんがりが愛され、突き抜けていくことだ。

最高の心意気。カッコ悪いからカッコいい

そんなとんがりというものは例え一見エキセントリックに見えようが、凝縮された個として心に響く。
甲本ヒロトの幼児のサマも、玉置浩二のイキ過ぎたフェイクも、最高にカッコ悪くて最高にかっこいいのだ

そんな個性をどう身に着けたらいいと思うだろうか。
良さそうなものをかき集めて一生懸命に勉強する。のではないのだ。
どうしてもどうしてもやってしまうもの、気が付けば行っていること、が結果的に練磨されて一つの結晶になる。
たとえ世間的によしとされることの中に押し付けられる矯正を受けても、なお治らないものがある。それが個性だ。治そうと思っても治らないもの、それが個性だ

リベレーション!リフレイン!

あえいうえおあお あえいうえおあお 綺麗な滑舌と正しい発声を身に着けていたら陽水は己のアンニュイな世界観を表現できなかっただろう。
音楽学校に行って品行方正な学問を学んでいたらaikoの不安定で妙に心地のよいメロディーは作られなかっただろう。学校にだって真面目に行っていないのだ。

いびつな手癖を、どうしようもない惰性を、理解されない偏愛を、もう一度受け入れてみよう。受け入れてまた何度も何度も楽しく練磨してみよう。
その無意識に繰り返す膨大な演算量が、途方もない距離をもって、君の必殺技を形作る


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?