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無償の愛から本当の価値を考える

えー初夏は凛凛、相も変わらず大島は銀銀にございます。

よし、会場大爆笑ということで
、、、価値のある仕事(志事)をしたいじゃないですか。

自分の存在意義と社会課題の交点をガツンと通貫するような。


本当の愛とは?


「子どもの顔が人よりかわいいから愛する」
「人よりテストの点がいいから愛する」
という愛は本当の愛だろうか?

ここでは一旦、本質的な価値というものを掘り下げるために"愛"について考えるものとする。

"価値"とは"大切の多寡"であり、"重要性"みたいな類義語があるようだ


人間にとって価値が高い状態とは
「よりよく生き、種が存続すること」
で疑う余地は無いだろう。

親の無量の思いやりに包まれ、セルフエスティーム(自尊心)を持ち、種を次世代に繋げる。

それでは
「愛=見返りを求めず注ぐ思いやり」みたいなものと仮定してみる。

「子どもの顔が人よりかわいいから愛する」
「テストの点がいいから愛する愛」
は本当の愛だろうか?

否、全人格的に存在を肯定し、思いやりを与えるのが愛だろう。

絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼べたら愛しさの意味を知る。って昔偉い人が言ってたよね。うん。



「今から2秒だけ君を愛する」っていう現象に価値はどれほどあるだろうか?


極端に価値が低い気がしないか?

過去に恋人に「愛してる」と言われたことがある。
なかなかどうして素直に上手く受け入れられなかった僕がいる。
言葉の定義的に。

例えば僕が浮気をし、破局をしてもその愛は続くのだろうか。
そして僕のことを嫌いになっても続くのだろうか。

おそらく答えは NO であろう。

つまり、「僕があなたを好きでいる恋人状態の間だけ愛してる」ということになる。

ふむ、愛とはある条件下で成立するものなのだろうか?

それはつまり「子どもの顔が人よりかわいいから愛する」
「テストの点がいいから愛する」のだろうか。

その条件と交換は、無償という言葉に当てはまらないのではないだろうか。

親の愛は永劫なのだ


恋人の愛というものは相手に嫌われ始めたことがわかったら、少しずつ愛が薄れるんじゃないか?

一方で、子どもに嫌われた母はその愛を手放すだろうか。
否、嫌われたとて簡単には手放さないだろう。

どうだろう、親の愛は永劫なのだ。
無条件で長いものなのだ。
何があっても元気でいてほしい。金の無心でもいいから連絡をくれと。街には慣れたかと、友達できたか寂しかないか、今度いつ帰るんだ、と。

くーっ!!


価値とはスパンに起因する部分が大きい


つまりここでは

価値とはスパンに起因する部分が大きい

という結論になった、

価値の大きさと射程の長さによって決まってくるのです。


昨今の、やれSDGsだ、やれサスティナブルだ、などというファッションで身に着ける環境意識ではなく
本質的に物事を考えるときに
”あともう少しだけ射程を長くとってみてほしい”
という小生の願いが少しでも届いていれば幸甚の極みと存ずる。


さて、次の章ではなぜこんな話をしたかという今回の”価値とはスパンである”という主題に入ります。(主題じゃなかったんかい)

日本の危機的な農業と、ポテンシャルに満ち溢れた世界のソリューション”山”について少しずつ触れたく思う。
よろしくどうぞ!

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