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痛みの交差点

彼女は、まだ麻酔の効果で半分夢見心地の中、タクシーの窓から流れる景色をぼんやりと眺めていた。親知らずを抜いた後の痛みが徐々に現実感を取り戻させていく。口の中にはガーゼが詰められ、頬は軽く腫れている。それでも彼女は、帰宅すれば、彼が優しく看病してくれることを心の支えにしていた。

しかし、アパートに足を踏み入れた瞬間、彼女は何かがおかしいことに気づいた。リビングの中央には、彼が座っており、彼の表情はいつもとは違っていた。彼女が「ただいま」と言葉を発すると、彼は深刻な面持ちで「話がある」と切り出した。

彼の話は簡潔だった。彼はもう彼女との関係を続けることができないと感じていると。理由は曖昧で、彼女には理解できなかった。ただ、彼の決意だけが明確だった。彼女の心は、まるで冷たい水を浴びせられたように凍りついた。口の中の痛みとともに、今度は胸が締め付けられるような苦しみが彼女を襲った。

彼女は反論しようとしたが、口の中のガーゼと腫れた頬が言葉をうまく形成させない。涙が頬を伝い落ちた。彼は静かに立ち上がり、彼女の荷物をまとめ始めた。彼女にできたことは、ただ黙って彼の動きを見守ることだけだった。

部屋を出るとき、彼女は振り返りもせず、ただ前を向いて歩き始めた。外は薄暗く、空気は冷たかった。彼女の心と体は、それぞれ異なる種類の痛みに襲われていた。親知らずを抜いた物理的な痛みと、突然失恋を経験した精神的な痛み。これらは互いに混ざり合い、彼女自身を完全に包み込んでいた。

彼女は、痛みの中でひとつの教訓を見つけた。痛みは、時に予期せぬ形でやってくる。それを乗り越えるには、自分自身と向き合い、時間をかけて癒やしていくしかないということを。彼女は歩みを続けた。一歩一歩、未来に向かって。

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