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【人物記録】 イクオイトさん


 イクオイトさんは、人間の汚れた部分が好きだった。
 汚れた部分というのは、綺麗の反対ということ。
 綺麗な顔、汚れた顔。
 綺麗な身体、汚れた身体。
 綺麗な思い出。汚れた思い出。
 イクオイトさんは人間関係を築く上で、この汚れた部分を重視する。
 相手の汚れた部分を聞かずには、人と一緒にいることができないのだ。
 イクオイトさんは、まるで相手を品定めするかのような眼差しで次々に質問をする。

「あなたはどうしてこの場所に立っているの?」
「誰にも言えない秘密を教えてくれない?」
「子どもの頃の自分に手紙を書いて欲しいんだけど?」

 イクオイトさんの質問に答えるには、汚れた感情を通過しなくてはいけなくなる。イクオイトさんは「吐き出すとラクになることの方が多い」とカウンセラーめいたことを言うが、吐き出したところでイクオイトさんは対処しない。
 話の感想を述べて終わり。それだけなのだ。
 だから、イクオイトさんと一緒にいる人は、皆、心が疲れてしまう。
 一人二人と、イクオイトさんは次々に友達を失った。
 イクオイトさんはいつも「重い」と言われ続けた。
 それでも、イクオイトさんは質問をやめなかった。
 本質というと聞こえはいいかもしれないけど、人によっては向き合いたくない側面とも言える。イクオイトさんは、そんな汚れた部分を好んだ。

 イクオイトさんは、踊ることが好きだった。
 唯一の友達であるミコワムラさんと踊ったことがキッカケとなる。
 しんしんと冷える冬休みの公園でのこと。
 ミコワムラさんとイクオイトさんは、ベンチで買ったばかりのウォークマンを二人仲良く聴いていた。
 いつでも、どこでも音楽を聴けるようになったことに、二人は興奮を隠せない。
 左右のイヤホンを分けて二人で聴いていたが、メロディが流れてくると、イクオイトさんの身体には電流が流れた。
 そして、身体が勝手に動き出したのだ。
 イヤホンは耳から外れたはずなのに、頭の中には音楽が流れ、身体が勝手に踊り出す。初めての経験だった。

 月日は流れ、イクオイトさんはダンサーの道に進んだ。
 好きという理由だけでダンスを選んだわけではない。
 ダンスならば、一人になっても孤独を味合わなくて済むと思ったからだ。
 予想は当たった。
 鏡に映るのは、常に自分一人。
 鏡のない場所では、カメラを回し、常に自分を主人公に据える。
 踊れば踊るほど、自分の内側から溢れる表現が見つかり、悦びを味わう。
 そして、その表現のどこかに、「汚れた部分」が現れていることを知ったのだ。
 やっと自我が形成され、イクオイトさんはダンスという居場所を見つけた。

 “人間は動物である”
 今、イクオイトさんの周りにいる仲間は、皆同じことを口にする。 
 イクオイトさんのダンスは、美しさの中に汚れが詰まっている。
 相手から吸収したエネルウギーを、ダンスで昇華したのだ。
 これが、イクオイトさんの武器となり、人々を魅了することになる。
 イクオイトさんは次第に、ダンサーとしての地位を築いた。
 コンテンポラリーというジャンルに身を置き、人間の動物的側面を表現したことが評価されたのだ。
 こうなると、イクオイトさんのことを「重い」なんて言う人はいなくなる。
 今でもイクオイトさんは問い続ける。

「あなたはどうしてこの場所に立っているの?」
「誰にも言えない秘密を教えてくれない?」
「子どもの頃の自分に手紙を書いて欲しいんだけど?」

 離れていく人以上に、イクオイトさんの周りには人が集まった。
 そして、「死者との対話」「欲と遊ぶ」などのコンセプチュアルなダンス作品を次々に発信している。
 イクオイトさんは、人間の汚れた部分が好きだった。

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