してん

これで4日連続の投稿になります。三日坊主は倒しましたが、次は四日坊主が来ます。三日坊主だけならまだしも、奴は睡魔とともにやってきます。次はYou Tubeを仲間にしてやってきます。見事にツボを抑えてくるから厄介です。絶対に負けられない戦いがそこにある。おはようございます。夕方の6時をお知らせします。

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捉え方次第

ズボンには出口が二つあるし、Tシャツを履いてもいい。

どこから視るか

何かを経験することは感情を伴います。抱いた感情ががポジティブにしろネガティブにしろ自分の主観で感じます。結局のところ、主観に囚われてしまうものなのでそれを他の視点でも考えられたら、、。中学生の頃に明らかに売れなさそうな旅行プランもそれを逆に売りにして実際に売上を計上したという話を聞いて視点を変えて考えることのおもしろさを知りました。

気づいていないことに気づく

視点を変えることで、新たな疑問が生まれたり、こうしたらどうだろうという新しい案が生まれたりします。場合によっては、今後の自分の行動の仕方も変わります。

だから?

視点を変えるということはおもしろさを見つけるということだと思います。視点を変えることで新しい気づきを得られたり、改善できたりすることに面白さがあると思います。例えば嫌なことがあったとき、嫌いな上司がいたときに、嫌だけど自分を成長させてくれる!反面教師としてしっかり学ぼう!と考えれば大きく成長できるかも知れません。しかし、こんなのは綺麗事です。ネガティブな感情を抱いたことをポジティブな方へ変換していくことで成長は促されるかも知れませんが、そんなことばかりしていたら正直疲れます。自分の中の考え方なのに自分に嘘をついていたらいつかガタがきます。だから、嫌だと思ったことはまずは受け入れて自分はそれを変えたいのか、変えられるものなのか、逃げれられるものなのかといったように、自分でどうにかしないといけないという視点から一歩下がってさらに広い部分で考えていくことも大切なわけです。要はバランスです。自分は絶対的なことは言えません。その都度その都度程度を決めて対応することが大切だと思います。言い切ることはわかりやすいし、説得力もあるけどそれに拘ることはないのではないでしょうか。

視点は無限

経験することは視点を形成すること、知ることであり、想像することの一種が視点を変えることだと思います。スタートとゴールは同じでも過程が違ったり、スタートから変えて同じゴールに辿り着いたり、逆から攻めてみたり、一歩引いてみたり、アプローチの仕方はいくらでもあります。自分だけでも考えることができるし、他者から刺激を得ることもできます。視点というのは無限にあります。だからこそ、自分が今、何を軸にして考えたのか、どういう目的のために考えたのかを理解することが必要です。

自分が正しいと思った道をひたすらに突き進むことは危険だと考えています。なぜなら、引き下がりにくくなる、周りを置いていくというように偏りすぎてしまうからです。

最後に

僕は視点を変えて考えることが好きです。おもしろくしたいというのも1つですが、正直なところ、独創的な人だと思われたい、カッコつけたいという欲もあります。ただ、自分が思いつくことなんて他の誰かが思いついています。だから、思いついたことや経験などを結びつける編集力というものも身につけたいです。欲が生まれるのは自然なことだと思うので、欲メインにならないように、認められるためにすることが本質ではないとわかった上で生活していきたいですね。みなさん、いいね押してください。



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