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自衛隊『敗者のおごり』

同人誌2017年冬号に掲載した原稿です
著者は「異界洋香奈」名義です


『敗者のおごり』 異界洋香奈

登場人物紹介

井苅和斗志(いがりかずとし)…予備自陸曹。自衛隊を辞した後に転職を繰り返し現在は運送会社勤務。妻子あり。自称右翼。

青江麻央(あおえまお)…予備自補あがりの予備自陸士。短大卒業後は職を転々とし主に派遣で生活している。井苅のことを『師匠』と慕っている。自称革命家。

予備自衛隊訓練も二日目。出頭した隊員たちも程よく打ち解け和気あいあいとしつつも熱心に訓練に励んでいる頃合いだ。
午後の課題もひと段落着き次の課題までしばしの休憩。
喫煙所へ向う井苅和斗志は「うおー」「ああー」「やったー」などとただならぬ声を耳にし足を止めた。
十数人の予備自隊員たちが隊舎に設置された清涼飲料水の自販機の前でジャンケンに興じている。
この人数である。なかなか勝負は決しない。
しかし一人勝ち抜け二人勝ち抜け、しばらくすると男女二人の隊員が勝者の輪のなかで最終決定戦を行うこととなった。
女性隊員は誰であろう青江麻央である。
「あの莫迦…」
青江の唇から血の気が失せ、握りしめた拳はぶるぶると震えている。
「最初はグー、じゃんけんポン!」
ああっと取り囲んだ隊員たちから歓声があがる。
男性隊員は両手を振り上げ「勝ったー」と小躍り、がっくり肩を落とす青江。
「いただきまーす」
「麻央ちゃんありがとー」
「ごちそーさーん」
十数人の隊員たちが順番に自販機に並んでボタンを押し嬉しそうに缶飲料を手に取る。
その横で引きつった笑みをはははと浮かべながら、青江は自分の財布から自販機にお金を入れ続けるのであった。
「師匠おお~ひどいですよおお~」
「な、なんだよ」
「負けちゃったんですよう、もう、どうしようどうしようどうしよう」
青江はべそをかきながら井苅にすがり付いてくる。
「そんなの自業自得だろう」
「もう、そう言わないで下さいよう~大損害なんですう」
娑婆では一般的に自販機の飲み物は130円で売られている。
対して駐屯地内では80~90円となぜか安い販売価格となっている。
しかし十数人分を青江ひとりで購入したのであるからかなりの出費になるだろう。
休憩時間に行われるこの遊戯はジャンジュ―もしくはジュ―ジャンと称されていた。
ルールは単純だ。
参加者全員でジャンケンをして敗者を一人決定し、敗者は自販機でジュースを購入し全員に奢るのだ。
井苅は前期教育隊でその遊戯の洗礼を受け後期教育隊でも経験、もちろん部隊配属されてからも…。
地方の駐屯地から訓練に訪れた部隊の隊員たちの間でも行われている例を井苅は何度か目撃している。
なので恐らくこの遊戯が全自衛隊に蔓延しているであろうことは想像に難くない。
「しょ、小隊長がみんな仲良くなってきたことですしここは現役時代を思い出してひとつ余興にいかがです?って言いだしてみんながやりましょうやりましょうって…。あたしよくわかんなかったんですけどなんか楽しそうでぐすんぐすん…」
「莫迦か、どんだけ仲良し小隊なんだ」
「まさか負けるとは…」
「莫迦だな誰しもそう思うんだよ」
「ああ~なんで参加しちゃったんだろう」
「予備自でジャンジュ―やってんの初めて見た。莫迦かよ」
「そ、そんなにバカバカ言わないでくださいよ、ますます惨めになってきますう」

本当に莫迦な遊びである。
過去の苦い思い出が井苅の頭の中にふつふつと湧き上がってくる。
教育隊でまれに行われていたジャンジュ―は教育担当の陸曹たちが新隊員たちに教えたものである。
所詮一個班10人未満の勝負だったからまだ良かった。
しかし配属先の部隊ではとんでもない勝負が行われていたのだった。
「俺の部隊では10時と15時の休憩時間の1日2回ジャンジュ―やってたんだよ」
「毎日ですかあ?」
そう毎日である。必ずしも全員参加と言うわけでは無いが大抵の勝負は10人を下回ることは無い。
だから敗者は一回の勝負で千数百円がすっ飛ぶ計算だ。
「午前午後で両方負けると最低3千円は失うことになる」
「そ、そんな不幸な人がいたんですかあ?」
「いた。何度か奇跡のような不幸が発生してみんな大いに盛り上がった」
一般的には自販機周辺で勝負が行われる。
しかし井苅たち部隊の職場から自販機は若干離れた場所にあるため敗者は勝者の希望商品をメモして購入に向かう。
「これが古参兵が負けると新兵が金とメモを預かって買いに行かされるわけよ」
「古参のひととか階級上のひととかも負けるんですかあ?」
「当たり前だろ。ガチの真剣勝負だ」
むしろ古参や上官が敗者となると大いに盛り上がる。
気まぐれで小隊長がジャンジュ―に参戦したことがあったがその時の盛り上がり様は半端ではなかった。
幹部が曹士の遊戯に参加することは稀である。
小隊長が参加するならばと、普段はあまり参加しないような隊員や他小隊の隊員までもが駆け付け総勢30人前後で勝負が行われた。
あまりに人数が多いのでまずは集団を二つに分けその敗者で何度もジャンケンを繰り返す。
結果とんでもないミラクルが起こった。
「え?」
「小隊長が負けたんだ」
小隊長は財布から千円札を三枚出すと下っ端の新兵に渡した。
新兵の一人はメモ帳を取り出し皆のオーダーを書き留める。
「古参兵の喜び様ったらなかったね。俺の記憶ではこの時が一番盛り上がった」
「ほんとに不正とか無いんですか?あたしてっきり今回はめられたものだと…」
「そんなわけあるかよ。不思議と不正は無いんだよね」
その時の小隊長は終始興奮状態で、「負けちまったよー」と頭を掻きつつも満足そうな表情に見えた。
皆このガチの勝負を楽しんでいる。
上下関係を超えた運試し。勝っても負けても恨みっこなし。
「新兵が毎回負けずに勝ち続けても別にそのことで文句言われることはなかったなあ」

「めちゃくちゃギャンブルですよね」
「ああ、ギャンブルだ。自衛官は飲む、打つ、買うが男女問わず大好きだ。休憩時間とは言えギャンブルが職場で黙認されてるってなかなかとんでもねえよなあ」
しかも厄介なことにジャンジュ―は隊員間の仲間意識を育むための儀式としての役割を担ってしまっていた。
「他の部隊は知らんよ。俺の部隊に限って言えばこの1日2回の勝負に参加しないと仲間として認められないって言うか…暗黙の了解って言うか…」
古参や特殊技能持ちで一目置かれるような隊員などは参加せずとも特に不利益を被ることは無かった。
問題は新兵や勤続年数の浅い隊員たちである。
「俺の同期のK親方は夜学通いでな、学費のこともあるしこんな意味不明の出費は避けたいわけだ。他にも実家に仕送りしてるような奴もいた。普段からジュースを買い控えているような人たちが、なけなしの金をギャンブルに費やしたいわけないだろう?」
参加せずにいると古参兵から「あいつはなんで参加しないんだ?」「新兵教育がなってないんじゃないの?」と新兵教育係の若年兵に指導要請が入る。あるいは古参兵から面と向かって「お前付き合い悪いんじゃねえの?」と嫌味を言われたりする。
「これがなかなかキツくてな、先輩から目を付けられると人生終了なわけだ。仕事中だけ我慢すればいいってわけじゃねえからな」
何せ住む宿舎も一緒なわけで仕事の後も休日も古参兵と共に過ごす生活なのだ。
表立ってのいじめは無くても勤務で演習で営内生活で面倒なことを押し付けられたり、あるいは困っていても気づかぬ振りをされたり、無言のプレッシャーが掛かり続けることになる。
逃げ場のない塀の内側でのこのプレッシャーは計り知れないものがある。
参加し続け勝負の興奮を共有することで仲間意識が徐々に高まって行くこの遊戯は曹士の間では重視されていた。
「繰り返しになるけど他の部隊は知らんよ。
うちの部隊はそんな感じだったから、積極的にジャンジュ―に参加してそれで課業外でも先輩と仲良くなってツルむのが部隊に定着する秘訣みたいなもので…」
井苅の部隊は駐屯地でも「やばい部隊」として評判が悪く疎まれる特殊な存在だったので、もしかしたらこのジャンジュ―の事例は他の部隊には当てはまらなのかも知れない。
しかし断言できるのは親睦を深めるために、仲間意識を高めるために行われる遊戯であり、決して特定の誰かを貶めるために行われているわけでは無いと言うことだ。
「そ、それじゃジャンジュ―には積極参加が正解ってことですかあ?」
青江は財布を握りしめて更に涙目になる。
「そんなわけねえだろ。ギャンブルを通過儀礼として定着させちまってんのは大問題だよ」

ジャンジュ―で何回くらい負けたっけかなあと井苅は遠い記憶をたどる。
「皆で酒飲んだりギャンブルしたり男は風俗行ったり女は男をたらしこんだり煙草吸ったりドラッグやったり…、そんな一般的にはあまりよろしいと思われないようなことをまだ世間を知らない若い連中に先輩たちが教えてだなあ、それで親睦を深めて仲間意識、『戦友』意識を高めて行く…。
そんな慣習が代々受け継がれているってのが自衛隊って所なんだよなあ」「え?ドラッグ?」
「いや、何でもない…」
「ところで師匠、あたし今月大ピンチなんですう」
財布を握りしめた青江はすがりつくような上目づかいで井苅を見上げる。「はあ?訓練手当が入るじゃねえか」
「振り込まれるのはまだ先ですよう、師匠の若い頃と違って今は現金手渡しじゃないんですからあ」
「そんなこと言って昨夜はPXでしこたま菓子を買い込んでたじゃねえか」「そ、それはやっぱり課業後の楽しみであって、これが予備自の醍醐味って言うかあ…」
「そんなの知るかよ」
「このままじゃ帰りの電車賃が足りないんですう、何とかお慈悲を~、ししょう~」
青江は跪いて井苅の前で両手を合わせ拝み始めた。何事かと通りすがりの隊員たちが目を向ける。
「ああもうわかったよ」
井苅は渋々財布から紙幣を取り出した。
「ありがとうございます師匠!いつか十倍にして返しますからあ」
「そう言うのいいから…」
「ああこれで今夜もお菓子が買えますう」
「やっぱ返せ」

(了)
(平成29年/2017.12.03記)

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