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身体ちゃんからのサイン

目が覚めたらあたまがズーンと重い。ああ、頭痛が近づいています。ああ、明日は数年越しの希望がある程度かなえられるマイルストーンなのに、今日はその準備があるのに、まいったなー。

空腹が良くないことがわかっているので、内容的にも適した朝ごはんを食べますが、視野はどんどん狭くグレーになる。
こまったなー、勘弁してよ。
寒いしなー。なんでこんなに寒いのよー。

あれ、お風呂に入ってみようかな。

湯船に身を沈めているうちに、肩までどころか、首まで入りたくなる。温まった手で顔を温める。何と冷えているのでしょう。耳も。耳の周りも。
気づくとバスタブの縁で頭をころがしてマッサージしています。首にゴリゴリのコリがあることを発見。

ああ。わかった。
昨日気の張る出会いがあって、あるオファー打診のはじめの一歩があったし、明日のマイルストーンとは別に、その後処理をしようと思っていたからだ。

身体ちゃんは、昨日からの緊張を「緊急事態!」と判断したのかもしれない。それでサインを出してくれている。「それ以上進んでは生命の危機よー!」と。

温まっていくとグレーだった視界が、突然広がる瞬間がある。徐々に直るのではありません。何かが切り替わるか、通る、繋がる感じです。
そういうことか。
ありがとう、身体ちゃん。

こんなタイミングで頭痛なんて最悪、なんて思ってごめんなさい。こういうタイミングだから「そっちじゃない」と伝えてくれている。熱意だけで暴走してはいけない。プロジェクトや人間関係以前に、自分の状態を調える。生体は自分が第一。そこがブレてはいけない。

子供のころに「バルテマイ」の絵本をいただいたことがあります。聖書の中に出てくるお話です。盲人バルテマイがイエスに出会って目が見えるようになる話で、一般には信仰というものを説明していると理解されているようです。いただいた「バルテマイ」ではイエスがバルテマイの目に巻かれた包帯を外している見開きページがありました。理性勝ちでかわいくない幼児であった私は「包帯を外せば見えるに決まっている」と思ったものです。

バスタブの私は違う解釈を得ましたよ。
バルテマイは器質的に問題があって視力を失っていたのではないのではないか。
おそらく不安やストレスにより見えなくなっていたところ、(ストレス性の難聴なんてのもありますよね、)信頼できる人が「もう治ったよ」とか言いながら目のあたりを触ってくれたりしたら急に見えるようになっちゃったぞ、という感じなのではないでしょうか。
奇跡でも何でもない。当然起こりうることです。施術は方法とタイミングですねー。勉強になります。

また奇跡であるとするなら、施術側が奇跡なのではなく、身体の反応が奇跡です。

せっかく視野と頭痛が安定しているのだから、その時間に作業を…というのは「熱意で暴走」なのだと思います。

私は、自分の身体ちゃんからのサインに従って身体を調え、その身体ちゃんの有難さを伝えることがミッションなのじゃないかと思います。
そのミッションに従っている時、ほら、こうしてコンピュータの画面に向かっていても頭痛が出てきません。

身体の声に耳を傾けて一日を過ごせますよう。

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