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福岡のLコミュニティ事情、2001年頃からのお話 -1-

私が保有している関連資料は2001年〜以降のものなので、それを中心に、時々小さなアーカイブ記事をこちらにアップする。
※ L=LGBTのL、Lesbianを指す

2001年よりLuv-Dancin'をスタート

沖縄の大学を卒業後、福岡に住み始めたのが1999年4月。仕事を始めたのが6月。福岡でのLコミュニティデビューは、1999年か2000年だと思う。

当時唯一開催されていたL向けのクラブイベント「Spoid(スポイド)」(会場は親不孝通りエリアのクラブ)に遊びに行くようになったのが最初だったように記憶している。イベントは不定期開催で、毎回約100人くらいは集客していた。
何度が遊びに行くうちにイベントスタッフになって、DJだったmeguちゃんと仲良くなって、もっと小規模でフットワーク良く、自由に、そして音楽が楽しめる場がほしいねという話になって、2001年12月にスタートさせたのが「Luv-Dancin'(ラブダンシン)」というイベントだ。名付け親はmeguちゃん。彼女はすでにDJとして数年来活動していて、このイベント名は、Underground Solutionが1990年にリリースしたハウスの名曲から拝借したと聞いている。

第一回目の会場は、大小のクラブが集まっていた親不孝通りエリアの一角にある、キースフラック。親不孝通りから横道に入り、狭くて暗い路地を二度ほど曲がって一番奥のビル一階にあり、キャパは40人くらい。日曜の夜なら、格安で借りることができた(金額は忘れてしまった)。

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宣伝はフライヤーのみのアナログ時代

この当時福岡には、住吉にOshiri-naと、春吉にLady's bar Nというビアンバーがあって(他にもあったら教えてください)、葉書サイズのフライヤーを作って持参し、宣伝をお願いした。告知は基本的にフライヤーと口コミがメインのアナログ時代。イベントには30〜40人くらい来てくれただろうか。ほぼ知り合いばかり。

「音楽を楽しめるイベントを」と考えてスタートするも、L向けイベントに集まるお客さんは飲んでおしゃべりしたい人ばかり。普段は自分を隠して暮らしているから、Lの仲間がメインの安心な場所なら、のびのびできるわけで。もちろんヒット曲をかけるとフロアが盛り上がる瞬間もあるんだけど、基本的にみんなおしゃべりとナンパに忙しい。

おまけ:若気の至り

ちなみにスタッフをやっていた前述のイベント主催者に、Luv-Dancin'をスタートさせることを何も言わずに始めたためか、すっかり仲間外れにされてしまった(と私は思っている)のは余談である。主催者にご挨拶でもすればよかったんだけど、お作法知らずの当時28歳。若気の至り。


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