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スティングと日本プロレス界

3月3日 アメリカプロレスで長らくトップを張ってきたスティングがAEWノースカロライナ州グリーンズボロ・コロシアムで引退することになった。ノースカロライナ州はかつてジム・クロケット・プロモーションがあった場所、スティングは敢えてその場所でプロレス人生に幕を下ろす

スティングの存在が知られるようになったのは1988年、WCWを主戦場にしていたスティングがグレート・ムタとの抗争を繰り広げていたが、そういった意味では日本で知られるようになったのは、ムタのおかげなのかもしれない。

しかし、スティングの初来日は新日本プロレスではなく全日本プロレスで、1989年の6月に初来日となったのだが、全日本プロレスはジム・クロケット・プロモーションの頃から関係は悪化しており、WCWに代替わりしてから、全日本プロレスは関係を解消することになっていたのだが、そのギリギリのタイミングでスティングが全日本プロレスへ送られてきた。だが、参戦日程はたった5日で、スティングは田上明、高木功と破ったが、ダニー・スパイビー戦では敗れてしまった。ジャイアント馬場さんはスティングをどのように評価したかは、今となってはわからないが、全日本プロレスもWCWとの関係は終わることから、馬場さんもスティングには関心を持っていなかったのかもしれない。

そのスティングが再び来日したのは2年後の1991年で、WCWは新日本プロレスと提携を果たすと、スティングはスポット参戦ながらも新日本プロレスに参戦し、ライバルであるムタとのシングルを日本で再現すれば、タッグを組むこともあった。
1995年の1月4日の東京ドームではアントニオ猪木引退記念ファイナルカウントダウン格闘技トーナメントに出場して、ザ・モンスターマンの弟子というトニー・パルモアという格闘家とも対戦、おそらくスティングにしてみればキャリア初の異種格闘技戦だったと思う。それに勝ったスティングは決勝でアントニオ猪木と対戦した。異種格闘技戦だけでなく猪木との対戦、スティングは新日本プロレスでなければ出来ない、経験もいっぱいしてきた。

スティングは現在のクロウキャラになってからは、日本から遠ざかってしまったが、代わりに偽物であるnWoスティングが日本に定着し、nWo人気もあって本家より人気が出てしまった。


WWEには目もくれず一貫してWCWで通し、WCWの最後も看取った後も、2014年まではWWEには上がらなかった。

そして最後の来日となった2022年1月の横浜アリーナ、この時はライバルであり盟友であるグレート・ムタの最後を看取るために参戦したが、60代とは思えぬ暴れっぷりを見せた。

そのスティングもまもなく最期を迎える、その時は90年代にアメリカンプロレスもWWEvsWCEによるマンデーナイトウォーズも、大昔のことになるのかもしれない。

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