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判断材料を開示する勇気

専門家は大衆に対して理解できるように説明する役割がある。

うーん、義務というよりやっぱり「役割」のほうが感覚に近いですね。
大衆にとって理解できない専門知識はないものと同じなので。

政治家とかの発信を見ていると、どういうメリットデメリットのもとやってる政策なのかがぱっと見で理解できなくて、結局自分で調べなきゃいけないという。

民主主義という意味では正しいのだけど、「プロの仕事」という視点で見ると、本当にその整理の仕方でいいのかなあ、と思うことが多いです。

web3界隈でも結構似たことが起きてるなあと思っていて、
中央集権によるID管理から個人によるウォレット管理になるという事実はもちろんそうなのだけど、
web3推進しましょう!と他者に対して「提案」をする人たちは往々にしてメリットデメリットが抜けてるんですよね。

「中央集権がなくなる分、中抜き(手数料)が安くなる代わりに、責任の所在がなくなるのでハッキングされると資産ゼロになります。メリットは個人の能力のレバレッジが効くことで、デメリットは外部からの攻撃に弱いこと。なので、攻撃されてもいいように自分で資産や共同体を分散させてポートフォリオ組まなきゃいけなくなる世界観ですよ。どっちがいいですか。」
っていう説明の仕方している人がどれだけいるのでしょうか。

やっぱり提案をするからには、GOサインを出すかどうかの判断材料を提示するのがマナーなんじゃないかと思いますし、社会人ならそれが普通だと思っていました。

そこをぼやかすのって、うーん、結局相手を信頼していないとか、操作しようとしているとか、そういうことなのかなあと思いました。

大衆迎合政治とかも、根本は同じところに原因がある気がします。

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