認識の壁を超えたい
物事をどう認識するかってかなり大事なんだけど、結構おざなりにされている感覚があります。
例えば科学って、人が認識した事象に対して、それがなんで生じたのか仮説を立て、実験による検証をしていき法則を見出す行為だと思います。
ここで論理が認識に依存するポイントが2つあって、1つは初めに事象を認識すること、2つめは実験結果を認識することです。
ここで正しく認識ができないと、組み立ていく論理が破綻していくということになります。
そこでいつも気になっているのが、人間は五感でしか物事を認識できないのに、世の中には五感で認識できない物理量に溢れているということです。
電流はモーターやディスプレイに映して目に見える形にしないと捉えられないし、超音波や赤外線なども、周波数を可聴域、可視光域に変換させ、人間の聴覚視覚で感知できる範囲にシフトさせて初めて認識できます。
他にも、人間がまだ知覚できていない物理量がたくさんあると考えるほうが自然かと思いますし、それらが現状我々が知覚できている世界に干渉するとすれば、容易に科学の論理が破綻することになります。
実際に、ダークマターのように未知の物質があるわけですしね。
同じように、現状の科学技術で捉えることのできる物理量に対しても、全てを認識することは不可能だと思います。ありとあらゆるところに最新のセンサー機器を設置しなければそれはできないので。
自分でもなにを言っているかわからなくなってきました。
ひとつ言えるのは、科学的に正しいとされる法則も、データを取りこぼしているため生じる論理の隙間があるということです。
データをこねくりまわしてそれっぽいこと言ってる営業のプレゼン資料とか、イメージに近いです。事象の一部だけを切り取ってマクロの流れを無視しているというか。
話がとびますが、AIなども、このようにデータを取りこぼしているかぎり完璧な正解を教えてくれるものではないのだと思います。
進歩というのは、本質的には認識の仕方を増やすということなのかもしれません。
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