普通である勇気

普通である勇気ってすごく大事だと思う。

「普通」って聞くと(大抵の場合普通の人は)なんだか平凡で退屈だと思ってしまう。でも、大体の人が普通だ。

僕も含めてこの世界の99%の人は普通だし一般だ。

この世は一握りの天才と大多数の凡人で成り立っている。各々が生存するには各々の役割を自覚しなければならない。

しかし得てして人は「特殊な自分」像に憧れる。

人とは違う何かができる自分を夢見て憧れる。

そして社会に運命に抗おうとしてあがいて生きるけど大半の人は自分の力量を知ってわきまえる。夢を叶えた人というのはほんの一握りで、それだからこそメディアで取り上げられ人々の胸を打つのです。

そもそも人は皆、特殊である自分を望んでいるのでしょうか。

それは甚だ疑わしく、そして私はあえて「否」と声を大にして言いたい。

楽しい「現在」が続く人生こそが一番で、皆んなとワイワイガヤガヤする人生を望んでおられるのではないか。華金になれば飲みに行き、先輩を立てつつ後輩の面倒を見る。そしてたまには小中高校時代の大学の旧友たちと悠久の時を過ごす。それでいいじゃないかと僕は思う。

夢だの特殊だのと無理やり囃し立てるのは一部のメディアで皆自身の安泰な生活を引き換えに周りを動かそうとしているのです。

ここまで一方的に述べてきましたが逆に頑張って普通である必要もありません。時には特殊に憧れて真似をするのもまた「普通」なのですから。脇道それるのも普通で、子供らしく喚くのも普通。ケチだ、がめついだ、普通じゃないと周りから言われるのも普通で振り返ってみたときの黒歴史も普通です。

要は、「特殊な自分でなきゃいけない」という強迫観念にかられすぎるのがいけないのです。

ヒーローになろうとして頑張ってやっぱり無理だったと笑ってもいいじゃありませんか。

普通とは自分がそのときそのときでやりたいことをし、時には周りを助け、猪突猛進に進んだりもする。

落ち込む時は落ち込んで、頑張る時は頑張る。変に影響を受けるときもあれば真面目に生きるときもある。

皆各々普通というものがあるのですから。

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