好きなものを仕事にする恐さ

最近の風潮として、「好きなものを仕事にしろ」というものがあります。

しかし、果たしてそれは正しいのでしょうか。例えばある人はプロ野球選手になりたいというでしょうし、ある人は作家になりたいというでしょう。

前者は一定の年齢までにドラフトにかからなければ不可能とは言わないまでも厳しいでしょう。後者に至っては狭い門ですし例えなれたとしてもそれだけで生計を立てるのは難しく、副業しながらという方も多いのではないでしょうか。

それに例え作家になれたとしても毎日書斎に引きこもりっぱなしの人生が楽しいと言えるのでしょうか。人間が社会的な動物である以上、人としての交流をないがしろにするのもどうかと思います。

もっと身近に落としてみましょう。

ゲームやアニメが好きだからそういう製作会社に入る、尊敬する人が行なっていた会社や職業。それに付随する人。

しかしそれもまた険しい道でしょう。”好き”というものは概して自分にはないもの、手を伸ばしても届かないものであることが多い。英語でwouldやcouldといった過去形は尊敬や謙譲の意を表すこともあります。なぜなら英語の過去形には「遠い」という概念が根底にあるからです。「過去」というのは「現在」からみたとき時間的に遠く、「尊敬」や「謙譲」は人間としての関係が遠いのです。

少し脇道がそれてしまいましたが、”好きなことを仕事にする”のは何はともかく険しい道なのです。

それで成功するのであればまだ報われるというものですが、プライベートや人間関係をないがしろにしてまで求めるべきものなのか今一度考えてみるのもいいかもしれません。

それよりは自分がこの道であればある程度長く安定して稼ぐことができると思うものを仕事にするべきではないかと私は考えます。

根本的なリスクの排除は株だけでなく、人生においても基本的なスタンスではないでしょうか。

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