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『万引き家族』環境と成長と自律と vol.336

ずっと気になっていた映画の一つ、『万引き家族』を見ました。

以前、半地下を見たこともあったので、割とすんなりと家族の違和感や変な雰囲気は飲み込むことができました。

果たしてこの映画は、私たちに何を伝えたかったのでしょうか。

東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋に、家主である初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っている。そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れ帰り、信代が娘として育てることに。そして、ある事件をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれが抱える秘密や願いが明らかになっていく。

https://eiga.com/movie/88449/

家族だけど家族じゃない

この家族、一見すると貧乏家族で万引きで生計を立てていくしか術がないようにも見えますが、決してそんな極悪非道の一家というわけではありません。

家族の中には笑あり、話ありの普通の家族。

そこには微笑ましさすら感じてしまいます。

冒頭部分でいきなり、虐待されている女の子を助けてもらってきてしまった部分にも、おかしなことであるはずなのに、どこか温かみを感じた自分がいました。

しかしこの家族、血で繋がっているわけではないのです。

では、何で繋がっているのか。

それは最後まで私にはわかりませんでした。

お金なのか、居心地の良さなのか、単純に住まいなのか。

しかし、そこにはわからないですが、不思議と絆が見えるのです。

何が正しいのかを捻じ曲げられる

映画のタイトルにある通り、この家族は万引きをして生計を立てています。

そして、それが自然と子供へと伝わり、誘拐をしてしまった女の子もその万引きをするための手段として使われてしまうのです。

優しいのか、あくどいのかどちらなのでしょうか。

しかし、子供は素直なものでそれが悪であるということに気づかずやってしまうのです。

これが恐ろしいことではありますが、世間はそこに気づいたりもします。

駄菓子屋のおっちゃんは少年がいつも万引きをしていることには気づいてはいましたが、それを黙っていました。

しかし、誘拐してきたより小さな子にそれを少年がやらせたのを見て、小さい子にはやらせるなとゼリーを2本渡したのです。

そこから、少年の頭の中で善悪の判断を迫られるようになるのです。

映画の中でのこの表現方法が面白く、同じタイミングで少年は大人になるという表現を、女性の体に興味を持つといった形で表現しているのです。

考えさせられる場面が散りばめられる

単純なように見えて、一つの家族の日常を描いているだけだからこそ、要所要所にその考えさせられる場面が散りばめられています。

個人的に印象に残ったのは、誘拐されていた少女がニュースに取り上げられ、元の家族に戻ったにも関わらず、また虐待をされているような描写で終わったり、「父ちゃん、おじさんに戻るわ」という言葉だったり。

結局のところ、お金だけのつながりを感じさせたり。

きっとみんな自分自身を守るのに必死だからこそ、本当の自分を全てさらけ出せずにもがいて生きているんだなと感じました。

そしてピンチの時に出てきた本性はやはり、よろしくないもの。

悲しくもありながらも、人にお薦めするかと言われると、見た方がいいなと感じた映画でした。

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