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仲間と学べば知見も広まり深まる vol.888

今日はGEGYokosukaのイベントの後に、Googleから新しく出たFigjamの練習会をしました。

そこにいた3人は全員共同リーダーでICTには強く、日頃から使っているメンバーですので、アウフヘーベンも起きやすい状況です。

このFigjamは2ヶ月くらい前から存在こそ知っていたものの、なかなか手を出せず苦戦していました。

今日はこの練習会で感じたことを書いていきます。

新しいものを知っていくにはエネルギーが必要

おそらく、やろうと決めて学べば特に問題もなかったのかと思いますが、それが結構大変なものです。

まずそもそも、その新しく学ぶものが自分にとって有益なのかどうかを判断する材料がないというのが、学び始めるのにブレーキをかけます。

さらに、学び始めたところでそれがら日常的に利用されているものなのであれば問題はないのですが、自分が先陣を切って広めていかなければならなかったり、言語化するというのが難しい可能性もあります。

つまり、学ぶだけでなくその先のハードルすら高く見えてしまっているという可能性もあるのです。

そうなるとそもそもの学び始めるということすら引けをとってしまいます。

感動と共有で学びは加速

ただ、それも一緒に学ぼうとする人がいれば話は別です。

同じ不安を共有する人がいるだけで、その不安はいくらか安らぎます。

新しい学校での最初のクラスは、周りが誰も知らない人たちなので、進級した何人か顔馴染みのいるクラスよりもいくらか安心感があります。

それ同じ状況です。

人は誰かと同じ状態にあることで、不安を和らげられるのです。

さらに、それだけでなく逆の現象もあります。

共に感動、興奮すればそのエネルギーは倍増し更なるエネルギーを生み出すのです。

今日の練習会もまさにそれでした。

互いに右も左も分からない中ではありましたが、「ここをこうするとこうなった」、「そこをいじるとこうなった」という連鎖がもっと知りたいという探究心を生み出したのです。

二極化した教育者はどうのあるべき姿は

さて、とは言ってもそのような場にそもそもやってこない人は、そんな感情が生まれるということすら知りえません。

その人たちにはその人たちなりの人生と正義があってそれを貫いているのですから文句は言いませんが、これから先どうなっていくのかは本当に分かりません。

これは私が教員になってからいまだにはっきりと分からないことの一つでもあります。

教員は以前から学ぶ意欲のある人とそうでない人に二極化されていたのか、それとも私がそう感じているだけで、全員実際は学ぶ意欲があるのか。

ただ単純に知らたい分からないだけなのか。

でも、今日感じたのは学ぶ人は学ぶ人と集い高め合うというのが最も良いということ。

プラスとプラスでエネルギーをかけ合わせ続けるのが良いのでしょう。

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