本当の友情に遠慮はいらない vol.220
映画会に参加してから、さまざまな映画を見る機会が非常に増えました。
映画には必ずメッセージがあります。
社会へ伝えたい何か、社会へ表現したい自分の思考、問題提起、監督が伝えたい何かがあって映画という形になり、表現されているのです。
そして、映画作成には多大なお金と人、そして環境が必要で、とてつもないエネルギーのこもった表現物なのです。
つまり、映画とは監督者の人生観を乗せた作品の共有物。
映画を見るだけで、一つの人生を併走できるのと同じことになります。
最近見た映画は、『最強のふたり』です。
対等な関係だから友情が生まれる
決して裕福ではなく、恵まれた環境ではない中で育ったドリスは、家庭を半年も無断で開けたりと自分勝手に生きていました。
失業補償をもらうべく、富豪だがパラグライダーの事故で首から下が付随になってしまったフィリップの介護の仕事の面接に来ます。
ドリスは最初から、仕事に採用されることなんて考えてもいませんでした。
さっさと不採用通知をもらい失業補償を受ける予定だったのです。
しかし、予想以上に仕事は長く続き、最初にかけていた2週間で去るというかけすらとっくに超えていました。
それは、ドリスがフィリップのことを障害者だからと言って特別扱いをせずにあえて対等に接したからこそ、人と人の繋がり、友情が芽生えた殻のことなのでしょう。
そして、それをフィリップ自身も楽しんでいました。
身体は自由だけど生活的に自由がないドリスと、お金はあって生活には困っていないが身体の自由が効かないフィリップはある意味では似たもの同士だったのかもしれません。
忖度のない友情が芽生えていくのが目に見えて楽しむことができます。
友を思うからこその旅立ち
とはいえ、二人とも今の生活に完全に満足しているわけではありません。
フィリップは恋心を成就させたく文通を続け、ドリスは家族の生活や兄弟の教育というモヤモヤを抱えていました。
だからこそ、お互いにその気持ちを知らず知らずのうちに組んで、フィリップはドリスへ仕事を探すようにと諭し、ベストパートナーだったはずなのにドリス仕事を変えさせます。
仕事をやめた後は、以前の友人と同じように挨拶を交わすものの、その生活は最初に登場した時とは、変化していました。
兄弟のことを考え、そして他者へ対する思いやり気持ちにも変化があったのです。
フィリップと交わることで、知らず知らずのうちに人間として成長していたのでした。
そして、それはフィリップも同じです。
ドリスの大胆さと屈託のない生き方に学んでいたのでした。
ドリスが離れた後はフィリップは頑固ジジイに戻ります。
しかし、そんなフィリップをドリスは連れ出し、以前は会えなかった文通相手と出会う場をセッティングしたのです。
その先はどうなったのかはわかりません。
映画はここで終了しますが、これは実話に基づいた話であり、2人の友情はいまだに続いているようです。
現代は、障害者に対する配慮や思いやりといった言葉が非常に目に入ります。
しかし、それはもしかしたら私たちの心のどこかで、健常者に比べて障害者は弱いもの、下の立場のものという、心理が働いていることもあるのではないでしょうか?
確かに、困っている人に手を差し伸べるのも大切ですが、やはりそこにあるべきなのは他者に対する思いやりや、心からの援助なのでしょう。
バリアフリーなどの社会の表面的な動きに対しても今一度深く考えるきっかけをもらえ、暖かな友情に触れ合えた大切な映画でした。
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