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『存在のない子供たち』貧困の差はまだまだ続く vol.287

生きてゆくためなら仕方ない。

いわゆる自分勝手とも取れるこの考えも、貧しい生活の中では正当化されるような気もします。

本作に出てくるのは、存在のない子供たち。

国にも親からも生きているということを認められていない。

そして、自分自身でもそれがわからなくなってしまっている。

そんな『存在のない子供たち』を見ての感想を書きます。

中東の貧民窟で暮らす12歳のゼインは、貧しい両親が出生届を提出していないため、IDを持っていない。ある日、ゼインが仲良くしていた妹が、知り合いの年上の男性と強制的に結婚させられてしまい、それに反発したゼインは家を飛び出す。仕事を探そうとしたがIDを持っていないため職に就くことができない彼は、沿岸部のある町でエチオピア移民の女性と知り合い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになる。しかしその後、再び家に戻ったゼインは、強制結婚させられた妹が亡くなったことを知り……。

https://eiga.com/movie/89043/

フィクションだとしても伝わる

自分よりもはるかに年齢の低い子どもが生活のために、働いてお金を稼がざるを得ない。

目に止まるのは学校に行って、勉強して帰ってくる子供だけど、自分にとっては夢のまた夢。

与えられた境遇の中で、何とかあるものを守ろうとするゼイン。

しかし、それすらも生活のために手放さなくてはならなくなっていく。

親はゼインからすれば理不尽極まりないことばかり。

日本においてはあり得ないことなのだろうが、おそらく世界の貧困地域というのはこんなものでもすまないのでしょう。

そう言った部分をうまい具合にスポットライトを当てつつも、表現しているなと感じました。

ドラッグなどもここ日本においては非日常かもしれませんが、向こうではお金を手に入れるためなのであれば、合成の薬ですらも薬物化してしまう。

心が痛まれる部分が何箇所もありました。

兄弟愛

ゼインの兄弟に対する愛情は度々描かれます。

しかし、その愛をゼインは2回も手放さなければならないのでした。

1回目は強制的に、そして2回目は自ら。

苦渋の決断ではあったものの、生きるためなら、兄弟が幸せになってくれるためなら仕方がない。

そう思ったのでしょう。

そんな決断をしなくては生活できない、過酷な環境が世の中にはまだまだあるし、それらは日常の中では忘れてしまう。

だからこそ、このような映画はそう言った事実を私たちに思い起こさせてくれる大切な時だと感じました。

自分にとっては知らなくとも、思いを馳せる。

自分を産んだ罪

ゼインが両親を訴えたのは、「自分を産んだ罪」です。

生まれた時から罵倒しか浴びせられていない。

商品としてしか見られていない。

そんな中でも、子供は増えていく。

そして、散々育てられない環境を見てきた。

ゼインにとっては、それが最大の言いたいことだったのでしょう。

自分が責任を持って育てられないのであれば、そもそも子供を作るな。

当たり前のことのはずなのに、子供を商品として見てしまう風習がある時には、このような道徳観や倫理観は薄れてしまうのかもしれません。

生まれてきた命に価値を持たせる、意味を持たせることができるのは、自分。

でも、環境は必要。

自分は恵まれていることを改めて実感したと同時に、世界を見た時にこの映画のような環境など山ほどある。

そう言ったマクロな視点からも物事を考えました。

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