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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 生きる世界は自分で見るのか vol.358

毎回参加させていただいている映画会。

今回のテーマ映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でした。

正直映画の前半部分はほとんど意味がわからなく、ワンカットで撮られている部分にも少し違和感を感じながらの鑑賞でしたが、最後の1シーンで全てをひっくるめて考えさせられる映画となりました。

「バードマン」というヒーロー映画で一世を風靡した俳優が再起をかけてブロードウェイの舞台に挑む姿を、「バットマン」のマイケル・キートン主演で描いた。かつてスーパーヒーロー映画「バードマン」で世界的な人気を博しながらも、現在は失意の底にいる俳優リーガン・トムソンは、復活をかけたブロードウェイの舞台に挑むことに。レイモンド・カーバーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出も主演も兼ねて一世一代の大舞台にのぞもうとした矢先、出演俳優が大怪我をして降板。代役に実力派俳優マイク・シャイナーを迎えるが、マイクの才能に脅かされたリーガンは、次第に精神的に追い詰められていく。

https://eiga.com/movie/81227/

何を持って自分とするのか

リーガンは最後の最後まで過去の自分の栄光を捨てられずに生きていきます。

自分がかつて成功したバードマンに捉われ、幻想や夢を見ながらの毎日を生きています。

その中で、時折見えてくる彼の心境の変化。

これはマイナスの方へと向かっているのか、それともプラスの方へと向かっているのか。

見方によっては180度変わるからこそ、いろんな捉え方があると感じました。

リーガンは今の自分の存在をどのように思っていたのでしょうか。

周りや社会からの評価とは全く別のものの、過去の成功者としての仮面をいつまでも被り続けていたのかもしれません。

そう考えると、本当に怖いのはうまくいかない時や失敗をしてしまった時などではなく、成功をしてその成功をいつまで経っても手放せなくなってしまっている時なのではないでしょうか。

現実か、夢か、はたまた妄想か

この映画の中では何度もリーガンが、かつてのバードマンと会話をする場面が出てきます。

実際にはどのようになっているかはわかりませんが、そのなかでリーガンは超能力を使っているような描写が数度出てきます。

このリーガンの症状がどのようなものだったのかは最後のワンシーンに全て隠されているかと思います。

それは、娘サムの視線です。

最後の病院の描写の後、リーガンは窓から飛び降ります。

普通であれば当然リーガンは落ち、死んでしまうのですが、その後に病室に戻ってきたサムは視線を下にやったあとに空へと移し笑顔になるのです。

リーガンは本物のバードマンになれたのでしょうか。

それとも、サムのヤク中による現実からの逃避なのでしょうか。

物語の真意はわかりませんが、なんとも考えさせられる場面です。

自分にとってどう映ったか

見る人と、その人の立場によって大きく変化する映画だと思います。

過去に縛られ今を生きられない人は、リーガンに共感するかもしれません。

逆に、そんな過去を切り抜けた人からすればリーガンの終わり方は、ある種当たり前というか現実からの逃避に見えることでしょう。

誰の心の中にもバードマンは存在しています。

その自分の中にいるバードマンとの向き合い方を考えろというのがこの映画の伝えたいポイントなのではないでしょうか。

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