『ベニスに死す』その感情は一体なにものか? vol.770
有名な映画を原作の本にした作品『ベニスに死す』
本当に最初はただの変態おじさんの余生と言うだけの本かと思っていましたが、その奥には実はいろんなテーマがあるのだなと感じることができた本でした。
恋か、探究心か、芸術か。
はたまたただのサイコパスなのか。
今日はこの本を読んでの感想を書いていきます。
芸術としての本
この本の一文一文に使われる言葉の数々。
芸術的ではあるんだけど回りくどく、そして分かりにくくて抽象的ではあるんだけど、表現が繊細で情景が見えてくる。
この言葉一つ一つがそれこそアシェンバハの人生の軌跡、見え方を表しているんだろうなと感じます。
アシェンバハは根っからの芸術家、作家なんだなと思います。
そして彼にとってはそんな感情豊かに全てが意味あるように見える中で引っかかったのがタジオと言う少年だったのでしょう。
この本を読んでいて、なぜか一番心をくすぐられた一文があります。
少年がやっているのは愛らしく無意味な閑にまかせた忙しない動作だった。
と言う一文。
ただ、タジオが遊んでいるだけなのにそれを感傷的にまるで全てを感じ絵用等する見え方。
こんな広がりを与えてくれる存在としてタジオを感じていたのかもしれません。
タジオとの出会いは?
そんな彼のタジオとの出会いはなんだったのか❓
神の一手だったのかもしれませんし、単なる偶然だったのかもしれない。
間違いないのは、それがアシェンバハの新しい扉を開いたと言うこと。
ただの恋と見れば恋、しかしそれはアシェンバハの美しさや表現物に対する探究心だったのだと感じます。
アシェンバハにとってはまだ見ぬ世界を見せてくれるそんなきっかけがタジオには詰まっていたのでしょう。
アシェンバハはタジオに出会えて幸せだったのでしょうか。
これをきっかけに彼は死んでいってしまうわけです。
ただ、自分の探究心を守り続けたが故に。
それは幸せなのかどうなのか。
現代人が感じ取るこの本の価値
私たちは一体この本から何を読み取り、そして自分たちの生活と直結させればいいのでしょうか。
私はこの本からは一貫して何か、現状を打破する活力を見つけると言う点と、自分自身の正しさを追求する探究心のようなものを感じました。
ただの変態おじさんを表しているだけだと思ったらここまで話は広がっていけるわけです。
読み継がれている本というのには何か不思議なエネルギーがあるものです。
この名作ベニスに死すの中には現代の私たちですらも、感じ取れる芸術や価値観があるのでしょう。
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