教育観と社会のあり方 vol.193
どうしても、最近の子どもは成長欲や努力をしないという話を聞く場面が増えました。
頑張る自分が恥ずかしい、根拠なく行動するのが嫌だ。
確かに、私たちは世間の目であったり社会の目を気にして過ごしてしまうことが多いです。
しかし、幼少期はそんなことを気にしたこともなかったでしょう。
小さい頃は自分の好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、感情や自分の欲望に素直に生きていたはずです。
では、一体いつから、周囲の目を気にして自我をかき消して、無気力になってしまったのでしょうか。
公教育は小さな社会
原因の1つに、幼稚園や小学校、中学校高校と小さな社会の中で暮らすようになったことが考えられます。
そのような小さな組織の中で生きるという事は、当然集団行動を強いられ、共通の意識や共通認識を必要とします。
自分の意思や理解にそぐわなくともです。
それが1つ、自分の欲望や好み趣味を抑制するきっかけとなっています。
集団行動が決して悪いことであると言うわけではありませんが、それにより個性や個々の思いを掻き消してしまう側面もあるのではないでしょうか。
例えば、北欧の教育であれば幼少期から個々の思いや感情日常を話す機会が与えられます。
その中で子供たちは、お互いの意見を尊重し、個性を大事にするということを肌感覚で理解します。
果たして日本にそのような文化があるのでしょうか。
小さなコミュニティでの文化形成
そして次に原因として考えられるのが、家族と言うコミュニティーです。
当然、前述した通りの教育で育った父親母親に育てられれば、同じような思想を持った子供が育つに違いありません。
そして集団としての意思を守ることを尊重し、空気を読むことを求められます。
家族内なので意見を否定されたり、認められないと言う事は少ないかもしれませんが、安心安全空間の中でも、自然とそのような風土は育ちます。
その最たる例の1つとして、中学受験が挙げられます。
中学受験の多くは、子供が自分の意思で決めたものではなく親の意思のもとで、子供がある程度自分の意思を持ちながら受験をしたい中学校を選ぶことが多いです。
しかし、小学6年生のまだ子供時代の児童が、自ら同じ年代の友人と遊ぶことをやめ、勉強に勤しみ、目的の中学校に入ろうとすると言うことを強く望んで選ぶのでしょうか。
中には選ぶ子もいるかもしれません。
だが、同じ中学受験経験者の私としては、中学受験に苦い思い出があり、なかなかそうは信じられません。
育つ自我のない子ども達
このような文化が生み出した子供たちはどのような子になっていくのでしょうか。
今の学校現場では、そういった子がたくさん見られます。
例えば、続けられない子。
何事も継続をすれば、それなりの結果が出るかもしれません。
しかし、ほとんどの子がうまくいかないときに、うまくいかないことをそのまま受け入れ、継続をすることをやめてしまいます。
本当はやらないからできないのに、できないからやれないんだという選択をしてしまうのです。
これは子供たちの可能性の芽を摘んでいる非常にもったいないケースです。
わかってはいるがなかなか変わってはいけないのが、日本であり日本の文化です。
私はこの文化を変える手立てとして、一貫した教育があると考えています。
幼稚園から小学校、中学校、高等学校と一貫した教育を行っていくことにより、子供たちは自信を持って自分の意見を述べ伝えることが出来るように育つのではないでしょうか。
理論も背景もまだ浅はかですが、そんな芯の考えを今は抱いています。
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