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教育現場での私とICTの歩み3(68日目)

BYOD学年の中学生を初担任で持ち、問題を起こさないようにと細かくルールを作成しました。

しかし、完璧に作りこまれたルールは、完璧に作りこまれているからこそ、不測の事態に弱いものです。

さらにはそのルールは、私自身の考えすらも縛り付けるルールとなってしまいました。

ICTの存在意義の軽薄化

カバー付きタブレット

そもそも、なぜここまでICTが教育現場に参入してきたかを考えましょう。(コロナ禍前の話です。)

社会のデジタル化の波がそのまま学校現場に入ってきているとも考えられるかもしれませんが、教育活動の足を引っ張るようなものであれば、それが入ってくることはありません。

何らかの形であれ、学校現場で使えるものだからこそ入ってきたのです。

それは手軽さ、利便性、発展性多くの要素を含んでいるからです。

私の作成したロッカーにしまうというルールは、その手軽さを無下にするものにしてしまったために、使用率は格段に下がりました。

使用率を下げた理由はそれだけではありません。

iPadの管理を外部に委託していたのですが、その管理会社が最悪でした。

修理依頼をしても半年間帰ってこなかったり、依頼したアプリが全く入らなかったり、電話は全くつながらなかったり、全員同時に接続できなかったりと、いいところは一つもなしというほどでした。

私の学年はICTを扱える教員私と副担任の教員1名という、少人数でしたので、日中のほとんどのすき間時間を生徒のiPadの修理依頼などに割かれました。

生徒のルールはある程度作成していたのですが、教員側の制度設計が全くできていなかったのです。

TOSSでの勉強やオンラインでの勉強を始めたのも、ちょうどこの時期でしたので、ICTとは無縁でも効果的な学習法を目にする機会は多くありました。

当然、iPadを使えば使うほど仕事が増えるので、ICT反対派へと自分の中で考えがどんどんと舵を切っていきました。

新型コロナウイルスによるマインドと環境の変化

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ICTを使わなくても、主体的・対話的で深い学びは実現できる。

そして、その頃にはそれだけの知識や技術も段々と自分の中で確立していきました。

そして起こった新型コロナウイルスによるパンデミック。

学校現場では否が応でもICTの活用が加速していきました。

アカウントだけは確保してあったGoogle for Educationも生徒に配布され、本格的に使用されるようになっていきます。

私はGoogle for Educationは得意ではなかったため、コロナ休校の時間を活かして勉強をしました。

少しずつまた、ICTと向き合う時間ができてきたのです。

これをきっかけにどんどんと自分を取り巻く環境が変化していきました。

休校期間になり、課題配信は全てclassroomで行う。

朝のホームルームもGoogle Meetで行う。

教員も出勤義務はなくなる。

そして、自分の教育観や人生を大きく変化させるティーチャーズアソシアに出会いました。

次に続く、、、。

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