『大往生』死とは生をより強くするもの vol.327
毎月参加させていただいている読書会。
今月は、『大往生』でした。
死生観について深く触れるなかなか機会のない時間をもらえました。
私にとって死とは?そして生きるとはいったい何なのでしょうか?
読書会を通して改めて、考えることができました。
どんな死に方をしたいか?
皆さんは自分が死ぬとなったとき、どんな死に方をしたいでしょうか?
この本にも記載されています通り、多くの人が生き方やあり方を考えるところまではいくのですが、死に方を考える人はなかなかいません。
ましてや、死期が迫ってもいないのに、そんな話を同い年とすることなんてめったにないでしょう。
しかし、だからこそこの死に方は考える必要があるのです。
日本では、あまり触れる文化はありませんが、海外などでは遺言状などは当たり前。
自分の死は自分で解決するといった風習が強くあるのです。
その背景には日本の文化的要素が強く残っているのかもしれませんが、死を考えるのは自分の人生脚本の最後のページを考えるのと同じ。
目的地が分かってもいないのに、走り出してしまうとどこかで脱線してしまうかもしれません。
そんなように死というものに対して、しっかりと向き合おうと思えた一冊でした。
ピンピンぽっくり、後世に継承したい
私が頭にふと思いついたのは、ピンピンぽっくりです。
元気にいたと思ったら、ある日あるとき急に亡くなってしまった。
これが私の理想です。
ただ、急に亡くなってしまうと、残された人たちはてんやわんやしてしまいます。
別れのための気持ちの整理はさておき、後悔や悔いのないかかわりを日頃からしていたいんだなと感じます。
そのうえで、自分も最後の最後まで満足した状態で次のステージへと行きたい。
そう思うのです。
この読書会の中で、ある話を思いだしました。
昔何かの映像で見たことがあるのですが、ある先生が癌を患い闘病しながらも、衰弱していく自分自身を題材にして生徒に命というものを教えるといったもの。
子どもに対しては刺激が強すぎるなどと、現代では批判もあるかもしれませんが、私は自分の命を最後まで後世のために貢献して輝かせるその姿に、胸を打たれたのを今でも覚えています。
なんという番組だったのか、ご存知の方がいたら教えていただきたいです。
これこそが死ぬということ、そしてその死が今ある生を輝かせているんだなと実感しました。
死は残された人たちへのメッセージ
死んだ後には何も残らないという人もいます。
しかし、私はそうは思いません。
死んだ後にはその人の想いが残ります。
そして、その想いは確実に継承されていくのです。
私は3人の祖父母を亡くしたこと、ペットが亡くなったことが、自分の中で一番死に触れた瞬間でした。
しかし、それでも悲しみは感じていたものの、その実感は湧かなかったのです。
死というものが理解できない、ぼんやりとしたものでした。
今でもそうです。
それは、姿かたちとしては見えなくなっていますが、間違いなく記憶の中に今も存在しているからです。
これは、その人の中で生きているということにはならないのでしょうか?
例えその人を忘れたとしても、確実にそこからもらったものがあり、そしてそれを次の世代へと継承しているはずです。
死とは、継承するための礎。
継承のために死があるのではないでしょうか。
死については、まだまだ深く考えられそうです。
そんな考えるきっかけを今日の読書会と、この本からは頂きました。
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