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手短にできない教員の性 vol.442

ついつい話したくなってしまうのが教員の性でしょうか。

いろんな場面で人前で話すことがありますが、そんな時言われるのが、「さすが先生、お話しするのが上手ですね。」

確かに教職は毎日子どもたちの前で、時には同僚のいる前で指導をしたり時には諭すように話をしなければなりません。

そのため、自然と話し方は上手になっていくのでしょう。

しかし、ここでストップです。

その話し方が上手っていうのは誰に言われた言葉でしょうか?

私たちが話しているのは生徒、上手だねと言ってきたのは大人。

この差は考えなくて大丈夫ですか?

話したがりの根源にあるのは何?

「簡単に一言ずつお願いします。」

大体の研修や学習会などでは、こんな風に一人ずつ話を振られることが多いです。

特に教育者が集まっているところではなおさらです。

そうなると、もう終わりません。

自己紹介だけで30分はかかります。

皆さん自分のしゃべりたいことがたらふくあるために、次から次へと矢継ぎ早に言葉が出てくるのです。

それも、周りの顔など気にせずです。

この話したがりの根源にあるものはいったい何なのでしょうか。

わんさか話す割りには、ほとんどの先生が自分の話したことに対して、批判をもらうのを嫌がります。

プレゼンや説明会でもない対話の場なので、本来批判というものはより高尚な考え方に行きつくためには必要な過程なのですが、どうもそうはいかないようです。

つまり、自分の話したことに対しての同意や感嘆の声を聴きたいという承認欲求にあるのです。

”伝わった”ではなく”伝えた”

そして、そう言った話をする多くの先生が、伝わったという話し方ではなく、伝えたという話し方になっていしまうのです。

相手中心ではなく、自分中心のコミュニケーション。

まさに自己中心的ともいえるでしょう。

生徒への伝達もこれが多いように感じます。

例えば、ある程度自分のことは自分でできてもらわないと困る高校生であれば、問題はないかと思いますが、中学生、小学生となってくると、こちらからの歩み寄りも大事になります。

では、伝えたを伝わったにするためにはどうすればよいのでしょうか。

まずは、目的を明確にすること、そして構造や仕組みを話し、相手に会った実例を出してあげる。

その後で5感を通じて理解をしやすいようにして、行動に移してもらう。

ここまで行って初めて伝わったに変わるのです。

コミュニケーションを勉強しよう

私たちは子どもにコミュニケーションを教え込もうとします。

しかし、実際にコミュニケーションを学ばなければならないのは、私たち大人の方なのかもしれません。

私たちはこれまでの生きてきた中で幾度か失敗を繰り返して肌感覚で、経験でコミュニケーションを無意識的に学んできました。

しかし、それが必ずしも正しいとは限りません。

すべての大人が正しければ、問題もそう簡単に起きるわけがないからです。

私たちの正しいと思い込んでいるコミュニケーションを構造化して、再度学び直し、それらを改めて子どもたちに伝えていく必要があるのではないでしょうか。

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