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四川系レッサーパンダの呼称及び学名について

Red Panda: Biology and Conservation of the First Panda (2nd Edition)のChapter 31.に以下のような記述があります。

One final point to note here, A. styani, formerly A. f. styani, has always been referred to as Styan's red panda since Oldfield Thomas' original paper in 1902. In the most recent papers this animal is referred to as the Chinese Red Panda. However, given that the species is not confined to China but is also found in Myanmar as well as North Eastern India, I recommend that we should revert to using its original name, Styan's red panda, as this is less confusing. (要約:A. styani(旧名称 A. f. styani)は、O. Thomasが1902年の論文以降、Styan's red pandaと呼ばれてきた。最近の論文では、この動物はChinese Red Pandaと呼ばれています。しかし、この種は中国の固有種ではないためStyan's red pandaの方が混乱しない。)

情報量が多いので整理すると、1:四川系レッサーパンダの学名は、Ailurus fulgens styani から、Ailurus styani に変わっている。2:呼称を中国レッサーパンダから、Styanのレッサーパンダに変えるのをお勧めする。と、2点の情報に集約されます。

「2」については、以前、私が紹介したnote記事「レッサーパンダ:四川系とネパール系の生息域の境界線 ぱーと2」のとおり、四川系レッサーパンダの生息域にインド北東部が含まれることが判明しています。したがって「中国」や「四川」と修飾するのは、環境教育や生息地保全の観点からもミスリードを誘う可能性があります。国名や地名の表記を控え、Styanのレッサーパンダと表記するのが望ましいのでしょう。ちなみにネパール系レッサーパンダは、論文中でHimalaya red pandaの表記を目にする機会が多いです。

「1」については、前提知識としての説明が必要でしょう。

レッサーパンダの学名”Ailurus fulgens”が、示す範囲は「種」としてレッサーパンダを表しています。四川系やネパール系の「亜種」を示す場合は、それぞれ、”Ailurus fulgens styani””Ailurus fulgens fulgens”となります。

しかし、論文「Genomic evidence for two phylogenetic species and long-term population bottlenecks in red pandas」で「四川系とネパール系のそれぞれのレッサーパンダは、約30万年前に生息地が分断されたことにより、遺伝的交配がない。したがって「亜種」ではなく別の「種」である」とする考えが示されました。この学説は広く支持されていることから、学名も「種」に合わせて別の呼称が必要となりそうです。

そこで、ネパール系レッサーパンダの学名(種)は、1825年にF. Cuvierが付けた名称「Ailurus fulgens」になり、四川系レッサーパンダの学名(種)は、O. Thomasが付けた名称「Ailurus fulgens Styani」から「Ailurus Styani」となります。(実は、Thomasは、ネパール系と四川系の研究を続け、1922年に亜種ではなく別種との論文を報告しており、その学名が”Ailurus Styani”です)

しかし、四川系レッサーパンダの学名(亜種)は、"Ailurus fulgens styani""Ailurus fulgens refulgens"のように、二種類の表記で揺れが存在します。

たとえば、米国サンディエゴ動物園の種紹介ページでは、以下のような記述(2021/12/26現在)があります。

In 1897, F. W. Styan discovered another form of red panda and named it Ailurus fulgens styani, now refulgens.(訳:1897年、F.W. Styanが別の形態のレッサーパンダを発見し、Ailurus fulgens styaniと名付けた。現在のrefulgensです。)

四川系レッサーパンダの発見者が誤っていることを無視しても、まるで"Styani"が古い名称であるかのような記述です。

F. W. Styani氏は、四川に生息する動物の標本を集めていた人です。この標本コレクションを元に研究を重ねていた、O. Thomasが、以前から知られていたネパールに生息するレッサーパンダとの違いに気づき、四川に生息するレッサーパンダを亜種と紹介し「Styani」と名付けた論文を発表しました。命名の由来を以下のように記しています。
In honour of its donor, to whom we owe so large a proportion of our Chinese collection, I propose to call it Ailurus fulgens Styani, subsp. n. (訳:中国のコレクションの大部分を提供した寄贈者に敬意を表して、Ailurus fulgens Styani 亜種と呼ぶことにします。)

しかし、なぜ四川系レッサーパンダの学名表記が2種類あるのでしょう?
以前note「パンダの名前の由来(竹を食べるもの?) ぱーと2」で紹介した稲葉智之氏の論文「パンダは竹を食べない!?」に、“Ailurus fulgens refulgens”が使われ始めた歴史をまとめた記述があります。

以下、稲葉氏の調査内容をもとに記載します。

一番最初の”refulgens”の表記が現れたのは、レッサーパンダの学名”Ailurus fulges”が付けられた1825年から4年後の1829年に、Georges Cuvier(F. Cuvierの兄)が記した「Le règne animal distribué d'après son organisation」です。その時の表記は”Le Panda éclatant (Ailurus refulgens)”ですが、これはネパール系のレッサーパンダを紹介したものです。

四川系レッサーパンダに対して”Ailurus refulgens”を用いたのは、1870年Milne-Edwardsの論文「Sur quelques Mammifères du Tibet oriental. Annales des sciences naturelles」が最初になります。この論文は、ジャイアントパンダとレッサーパンダの脚の類似性(種子骨)を紹介した論文とし有名です。

Thomas(1902年)より、早いタイミング(1870年)でEdwardsが四川系を”refulgens”と紹介したことから、四川系レッサーパンダの発見者はEdwardsで、命名ルールに従い”refulgens”が正しい学名のように見えます。しかし、Edwardsは、四川産のレッサーパンダの紹介で、上述のG. Cuvierの論文を脚注引用していることから、ネパール系と四川系の区別をしていないと思われます。

この、最初に四川系レッサーパンダを紹介したEdwardsの学名表記を採用するか、四川系レッサーパンダを、ネパール系と比較し、亜種として紹介したThomasの学名表記を採用するかで、”refulgens””styani”の表記が揺れることになります。結局、どちらの表記もある意味正しいとなります。

ただ、学名の命名規則(国際動物命名規約:International Code of Zoological Nomenclature、ICZN)に則れば、近縁種との区別を明確にした論文記述者に命名権があるので、”Styani”が正しい学名であるといえます。

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