四川系レッサーパンダの呼称及び学名について
Red Panda: Biology and Conservation of the First Panda (2nd Edition)のChapter 31.に以下のような記述があります。
情報量が多いので整理すると、1:四川系レッサーパンダの学名は、Ailurus fulgens styani から、Ailurus styani に変わっている。2:呼称を中国レッサーパンダから、Styanのレッサーパンダに変えるのをお勧めする。と、2点の情報に集約されます。
「2」については、以前、私が紹介したnote記事「レッサーパンダ:四川系とネパール系の生息域の境界線 ぱーと2」のとおり、四川系レッサーパンダの生息域にインド北東部が含まれることが判明しています。したがって「中国」や「四川」と修飾するのは、環境教育や生息地保全の観点からもミスリードを誘う可能性があります。国名や地名の表記を控え、Styanのレッサーパンダと表記するのが望ましいのでしょう。ちなみにネパール系レッサーパンダは、論文中でHimalaya red pandaの表記を目にする機会が多いです。
「1」については、前提知識としての説明が必要でしょう。
レッサーパンダの学名”Ailurus fulgens”が、示す範囲は「種」としてレッサーパンダを表しています。四川系やネパール系の「亜種」を示す場合は、それぞれ、”Ailurus fulgens styani”と”Ailurus fulgens fulgens”となります。
しかし、論文「Genomic evidence for two phylogenetic species and long-term population bottlenecks in red pandas」で「四川系とネパール系のそれぞれのレッサーパンダは、約30万年前に生息地が分断されたことにより、遺伝的交配がない。したがって「亜種」ではなく別の「種」である」とする考えが示されました。この学説は広く支持されていることから、学名も「種」に合わせて別の呼称が必要となりそうです。
そこで、ネパール系レッサーパンダの学名(種)は、1825年にF. Cuvierが付けた名称「Ailurus fulgens」になり、四川系レッサーパンダの学名(種)は、O. Thomasが付けた名称「Ailurus fulgens Styani」から「Ailurus Styani」となります。(実は、Thomasは、ネパール系と四川系の研究を続け、1922年に亜種ではなく別種との論文を報告しており、その学名が”Ailurus Styani”です)
しかし、四川系レッサーパンダの学名(亜種)は、"Ailurus fulgens styani"と"Ailurus fulgens refulgens"のように、二種類の表記で揺れが存在します。
たとえば、米国サンディエゴ動物園の種紹介ページでは、以下のような記述(2021/12/26現在)があります。
四川系レッサーパンダの発見者が誤っていることを無視しても、まるで"Styani"が古い名称であるかのような記述です。
しかし、なぜ四川系レッサーパンダの学名表記が2種類あるのでしょう?
以前note「パンダの名前の由来(竹を食べるもの?) ぱーと2」で紹介した稲葉智之氏の論文「パンダは竹を食べない!?」に、“Ailurus fulgens refulgens”が使われ始めた歴史をまとめた記述があります。
以下、稲葉氏の調査内容をもとに記載します。
一番最初の”refulgens”の表記が現れたのは、レッサーパンダの学名”Ailurus fulges”が付けられた1825年から4年後の1829年に、Georges Cuvier(F. Cuvierの兄)が記した「Le règne animal distribué d'après son organisation」です。その時の表記は”Le Panda éclatant (Ailurus refulgens)”ですが、これはネパール系のレッサーパンダを紹介したものです。
四川系レッサーパンダに対して”Ailurus refulgens”を用いたのは、1870年Milne-Edwardsの論文「Sur quelques Mammifères du Tibet oriental. Annales des sciences naturelles」が最初になります。この論文は、ジャイアントパンダとレッサーパンダの脚の類似性(種子骨)を紹介した論文とし有名です。
Thomas(1902年)より、早いタイミング(1870年)でEdwardsが四川系を”refulgens”と紹介したことから、四川系レッサーパンダの発見者はEdwardsで、命名ルールに従い”refulgens”が正しい学名のように見えます。しかし、Edwardsは、四川産のレッサーパンダの紹介で、上述のG. Cuvierの論文を脚注引用していることから、ネパール系と四川系の区別をしていないと思われます。
この、最初に四川系レッサーパンダを紹介したEdwardsの学名表記を採用するか、四川系レッサーパンダを、ネパール系と比較し、亜種として紹介したThomasの学名表記を採用するかで、”refulgens”、”styani”の表記が揺れることになります。結局、どちらの表記もある意味正しいとなります。
ただ、学名の命名規則(国際動物命名規約:International Code of Zoological Nomenclature、ICZN)に則れば、近縁種との区別を明確にした論文記述者に命名権があるので、”Styani”が正しい学名であるといえます。
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