雉も泣いていれば撃たれまい

春と言えば出会いと別れの季節。とは言え、歳を取ると出会いというものが段々と減っていき、別ればかりになります。

特に3月は卒業式シーズンで、本来であればあっちで卒業、こっちで卒業と卒業の波が来てるはずですが、それ以上に波が来ているコロナウイルスの感染拡大防止の為、学校では卒業式の中止や縮小が相次いでるみたいです。

卒業式に涙は付き物。常に身近にいた友人や教師、後輩、そして学び舎と別れなければならないのですから、これで泣かない奴がいるとすればそいつは血も涙もない奴です。

そして、私はそんな血も涙もない奴と言っていいでしょう。今まで卒業を祝われる側として小学校、中学校、高校、大学と4度出席していますが、一度も泣いたことがないです。なんなら、泣いてる奴を見て軽く小馬鹿にしていました。

中学校の卒業式の話です。私の通っていた中学は荒れてはいなかったのですが、「思春期」特有のやり場のない憤りを校則違反や不真面目な授業態度に形を変え反発をする者がそこそこいました。そんな彼らが泣いているのです。学校が嫌で散々反発していた癖に、なんて図々しい連中なんだろうと思い、その光景を見て私はニヤニヤしていました。

確か、スクールカーストが低ければ低いほど泣いてなかったんじゃないかと記憶しています。当然、私も泣かなかったです。

これは後に分かったことですが、私がニヤニヤと小馬鹿にしているのを見て卒業式後に私を絞める計画があったみたいです。卒業式後すぐに帰ったので未遂に終わりましたが。

様々なドラマがあるはずの卒業式ですが、私にはこのエピソードしか持ち合わせていません。私は卒業式が嫌いでした。第二ボタンを誰からも貰われなかったからではありません。貰われなかったのは事実ですが。何が嫌って「出席してる人は全員泣かなければいけない。泣いてない奴は人間として酷い」みたいな同調圧力。この考えは卒業式と無縁になった今でも変わっていません。子供がいれば変わるのかもしれませんが、それは当分来ないかもしれないです。そういった観点で卒業式が嫌いな人間もいるということを知って頂ければ幸いです。

そうだそうだ。一応、これだけは書いておこう。

卒業されるみなさん、おめでとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?