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みさととまゆちゃんの結婚式

みさとが東京に来てくれた。
ビアパブでオレンジジュースを飲みながら、まゆちゃんと結ばれるまでのお話を聞いて(知っていたのに)再度泣いた私。本当に、素敵な恋人たち。今度まゆちゃんも一緒に会えるのを楽しみにしている。そして台湾にゆく。

人をカテゴリ分けするのが好きじゃないので、うーんと思ったのだけど、やはり。伝えることの方が大事だと思ったので、この文を書くことにした。素敵な個性の一つとして、みさとは、今風の言葉で言うならば LGBT と呼ばれる個性を持っている。

「共感」には「主観的共感・客観的共感」との2つがあって、1度でよいので主観的共感を得た源があってこそ、2度目からは主観/客観にかかわらず共感のバリュエーションを増やしてゆける、と思っている。

みさととまゆちゃんは、私が主観的共感が持てていなかった女性同士の恋愛について、これを贈ってくれた人だ。(みさとやまゆちゃんに恋したんじゃないよ)

そして、いわゆるリアルじゃない出会いからリアルの出会いにしてしまった、という唯一の存在。きっかけは、私がみさとに DM を送ったことから始まる。この記事を読んで、涙がほろほろとこぼれてきて、すぐに送ってしまった。そんなこと、他の人にはしたことないんだけどね。せずにはいられなかった。


突然だけど、まずはそのときのDMを、一部掲載しよう。

みさとさんとまゆさんの、楽しそうに会話してる姿、愛おしそうに見つめ合っている眼差しがすぐ目の前に浮かんできて、なんて幸せそうに笑いあってるんやろうと、涙がこぼれてしまいました。とってもとっても美しかったから。

私は女の子なので、二人の顔を見て、どれほど恋をして愛している顔かってわかったんです。

じつは、否定的な思いを持ったことはなかったけれど、女の子同士の恋愛についてあまり触れないようにしてきてしまっていました。
私は男性が好きです。男性同士のものはなんだか自分とは違うものというか…そういう姿を見たとしても心から素直に受け止められて、でも、なんというか、否定とはまったく違うのですけど、自分が女性なので、女性同士については客観的には共感できても男性同士のそれとは少し違う、どこか主観的には共感できない気持ちがありました。 

でも、みさとさんとまゆさんの記事を読んで、会話や笑顔を見て、すうっと「美しい」という気持ちで涙がこぼれてきました。

私も恋人とこんなふうに笑い合いたいなぁって。
そして、おふたりとお友達になりたいなという気持ちにまでなっています😳笑

幸せな気持ちをおすそわけしてくださってありがとうございます。そして、みさとさんとまゆさんのお陰様で、今夜はひとつ自分が豊かな人間になれました。幸せな夜です。

ウエディングの写真、たまらなく素敵です。おふたりともすっごく魅力的で愛らしいですね😌💐

世界一周、陰ながら応援しています☺️💐💐💐
二人にとって健やかで温かく豊かな毎日がいつまでもつづきますように💐

急な見知らぬ人からのメッセージ、というの以上に、自分の気持ちの押し付けなのではないか(ただ私が聞いてほしいという文章なのではないか)と思って、送るのを迷った。
半分は応援の気持ちを送りたかったからなのだけれど、声援を求めているかなんて分からないし、残りの半分は感謝が伝えたかったからだったので。それって私の「聞いてほしい」だなと思った。

結局、ごく少数の友人以外に「聞いてほしい」を特定個人に伝えることは恐縮してしまって苦手なので、ましてや会ったことのない彼女にこれを送ることは明日になったらできないと思い、すぐにえいっと送ってしまった。

そうしたら、25 時を過ぎていたのに、すぐに返信が届いた。みさとの心のこもった言葉たちが「ぜひ、私からも友達になっていただきたい。お会いしたいくらいです」というメッセージとともに。

こうして私たちは友達になった。

友達同士でも、会おう会おう、と言って会えないことがよくあるものなのに(通称会おう会おう詐欺。笑)みさとは違う。本当に連絡をくれて、ひょっこり来てくれたのだ。

素敵な友達ができた。ありがとうね。

みさとのことは当初は、写真を見てかっこいい女の子!と思っていたんだけど、会ったらかっこかわかわかっこかわいかっこいい人だった(・ノ\・) もしかしたらまゆちゃんの前ではかっこいい寄りになるのかもしれない。

ふたりのインスタから。

「共感」については、私の生きてゆく中の大きなテーマだ。
前のアカウントから読んでくださっているかたは、私が教養についてぴーちくぱーちくしゃべっているのを一時期(二時期?笑)目にしてしまっていると思うのだが(恐縮です)教養とはひとことで言うと、知識力と共感力の掛け算だと思っている。
私の人生の目的のひとつに、教養の最大化というのがある。言い換えると、教養の2要素である知識力と共感力の最大化だ。そして、共感の要素源に関して、日本人一般というアイデンティティのもとでは「引き出しすら無い」という要素源が2つあると思っている。「引き出しすら無い」というのはつまり「主観的な共感がゼロ」ということだ。これら2つを得ようとしてきた中で、もう1つ「主観的な共感がゼロかもしれない」というものがあって、それが「女性同士の恋愛」だった。そして実は、これに関しては半分諦めていたし、触れるのを避けていた。それを変えてくれた二人の美しい人。

週末の夜、電車の中、帰宅してから、なんとなく note を開いてこの文を読んでくれていたら、その「なんとなく」で、みさととまゆちゃんの記事を是非に手にとってほしい気持ちです ( ꈍ ꈍ ) 🌃💐🍃🍃


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