そういう意味で自分に自信があったことは1ミリ秒もないけれど、

前回の記事の美里が記事を書いてくれた。ありがとう。そんなふうに思ってくれていたなんてびっくりどんきーごりら🐒


私こそ、あの夜の25時にメッセージを送って本当に良かったと思っています。澄んだ瞳のきらきらが、美里の心をそのままに映しているんだろうなぁって思った。

美里に返信をしようと思ったんだけど、コメントの長さじゃないと思って記事に切り替えました。(笑)
凄い人のように書いてくれているけれど、そんなことないんだよ。ほんとうに。。。(泣)

好奇心旺盛で飽きやすい。影響されやすいってのもあって軸がぶれやすい。だから、後ろを振り返ったときに、自分を作り出してきた道がなかったりする。

ぐさぐさくるなぁ。常日頃、思っていることでございます。

極めてきたアカデミックの王道を離れている身だから、わたし自身には捨てたという気持ちはないんだけど、世間にはそう見られる。芸術やポエムの世界で生きるのであれば「他人にどう思われようが関係ない」で良いのだけれど、外と繋がって小さな何かを起こすようなことをしたいのであれば「多くの人がそうだと思うこと、そのコンセンサスの集合」がそのまま "事実" になる。

武器がない、と美里は言っているね。私も今は、鋭いのに使い道のない刀を鞘にしまって、雲の中を歩いている日々です。雲の霧の中は灰色で、出口があるのかさえわからない。
でもこの雲はきっと、蒼快な青空に浮かぶ真っ白の雲だって信じてる。

それから、自信がある、と感じてくれて嬉しい。ありがとう。

note を以前のアカウントから読んでくれているかたは、今きっとフフフと思われていることでしょう。(笑わないでね)(きもちはわかるけれど)
じつは私はいわゆるところの "自信" というものを、持ち合わせていない人間です。

「自信がある」というのにはいろいろな文脈があると思う。なぜなら自信自体に、いろいろな種類のものがあるから。

もし本当に、どの類の自信も持ち合わせていなかったら、人は自殺すると思うの。一筋の希望も見出せないということだから。本当の真っ暗な絶望の中、生きる意味も世界との繋がりも自分や他者への愛も見失ったとき、人はきっと生きられなくなる。或いは、絶望ではなく虚無の状態になって、もぬけの殻のようになるかもしれない。

だから「自信がない」と言うほとんどの人が、実は何らかの自信を持っている。
私の場合「自分にベクトルを向けた時の自信(おそらく前置きなしで使われる自信の最も一般的な形)」は、皆無なんだあ。容姿、性格、能力のようなもの…どれを取ってもゼロなの。ゼロ……無いってこういうことなんだなぁって、生きていて何度も自覚した。

それでも私が生きられているのは、そしておそらく美里が自信があるって感じてくれたのは、私が携えている2つの自信のうち、9割を担っている大きな自信のためだと思う。
それは「明日は必ず美しい。なぜならば、そうなるような今日を私が生きるから」という自信。なんじゃそれ。(笑)でもこれだけは、強烈にあるんだよね。

じつはこの9割の自信がゼロになったときがあって。すり減ったことは今までに何度もあったけど、ゼロになったのは初めてだったのね。この新しいアカウントになって間もなくその時期を迎えてしまったので、今のところ全体的に非常に消極的な内容になっている気がする。。🤔

↓絶望の権化


だからね、美里の記事のタイトル『美しい明日を作る彼女は、輝いていた。』という言葉を読んで、とびあがるほどびっくりしたよ。
カレー屋さん🍛の件の感想以外、あんまり真面目な話はしなかったしね。ぴよ〜んとなんとなく時間を過ごした3時間だけだけど、そんなふうに感じてくれてとっても嬉しい。やっぱり美里の瞳と心はきらきらに澄んでいるね!

美里の言っている自信は、たぶん私も持ち合わせていない類の自信じゃないかなぁって思うのね。

私はそういう意味で自分に自信があったことなんて1ミリ秒もない。頭が良い、○○ができる、可愛い。。どれも逆の台詞なら、思おうと思えばいつでも思えるけれど。学年の女子で一番足が速くてもリレーのスタートの前には、どべでバトン繋いじゃったらどうしようって思ってたくらい。泣(あっ!四つ葉のクローバー見つけられる、だけは自信ある!笑)

自信がある人ってかっこいいよね。
イキってるって言葉あるけど、俺わりといけんじゃね?俺ぶっちゃけすごくね?俺正直かっこよくね?って思えるのって人生楽しいし、なんかとにかくめちゃめちゃいいと思う。私もちょっとはそうなりたい。

本当、どれだけちょっと上手くいったりしても、私すごい!とはただの1ミリ秒も思ったことがないの、なんでだろうと思う。間違いではないんだけど、たぶん、そこを間違ってちょっと天狗になった方が生き易い。

よく自信を持ちなさいって言われるけどさ、そんなの言われなくても私が持ちたいわ、と思う。(笑)
だから美里が感じてくれたことはとても嬉しかった。

そう感じてくれたとしたら、それは美しい明日への希望。美しい明日になるように今日を生きるんだという今への希望です。

そして、それは同じものを美里から感じました。
私のその希望を察知してくれたセンサーを持っている美里は、本当にそうなんだと思う。

今のところ「俺いけんじゃね?」「俺意外とすごくね?」と思えない私たちは、きっと生き易くはないけれど、その分ちがうセンサーが繊細にはたらいているのではないかと思う。
それに何より、きっと人に優しくなれる。人は、負の感情に主体的に共感ができるようになるほど、その深さにおいても多様性においても、優しくなれると思う。

また話そうね。
とりとめもなくなってしまったけれど。心を震わせてくれて本当にありがとう。そういう瞬間に、生きていて良かった、生きていてもいいんだなぁって思えます。
今度はオレンジジュースを片手に三人で語らおう。

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