同時多発テロ直後に訪れたワシントンとNY
2011年9月11日に同時多発テロが起こりました。普通ならこの地に旅行などしないでしょうが、私たちは旅行をキャンセルせずに、2週間ほど後にワシントンDCとニューヨークに行きました。
その頃は、有給休暇が年に10日取れるかどうかと言った環境で働いていましたが、1年に1回は、1週間以内の海外旅行をしていました。航空券は7月頃に予約をし、ワシントンDCのB&B のスワンハウスとニューヨークのホテルの手配もそのころに行いました。
当時ニューヨークには、学生時代の親しい友人が駐在していたので、現地で会うことのを楽しみにしていました。またワシントンDCにも、横浜の教会で知り合ったアメリカ人夫婦(国務省勤務)がいたので、食事をする約束をしました。
この二つの都市に行こうと決めてから、レンタルビデオ屋で50本位ビデオを借りました。ワーキングガール、夢の降る街、摩天楼はバラ色に、ニューヨーク8番街の軌跡、ウォール街、恋におちて、ダイハード、ホームアローン、華麗なるギャツビー、キングコング、めぐり逢い、めぐり逢えたら、グリーンカード、ティファニーで朝食を、マルコムX、セントオブウーマン、34丁目の奇跡、スプラッシュ、ゴーストバスターズなどを見ました。
ある晩ビデオを見終わってニュース番組にチャンネルを変えたのに、マンハッタンのビルの映像が映し出されました。不思議に思った所、アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便がワールドトレードセンターに激突したことを知りました。日本時間9月11日午後9時46分と午後10時3分に起こったことです。
ニュースを見ていたら、実家の妹から電話がかかってきました。「お母さんが、お姉ちゃんたちがアメリカに旅行するから、怒っているよ。」と妹は言い、母は電話に出ませんでした。妹には、「向こうには友達が暮らしているし、大丈夫だよ。」と答えました。
テロが起こったので、ツアーでの旅行は皆キャンセルされたはずです。でも私は個人旅行だったので、旅行に行けなくなることはありませんでした。ニューヨークにいる友達に電話をしたところ「私たちは、普通に暮らしているから、そんなに怖がることはないよ」と教えてくれました。私は彼女に見たかったライオンキングのミュージカルの予約をしてもらいました。
当時はネット上で、「テロが起こった直後に旅行に行くのは、非常識で迷惑だ。来ないで欲しい」と言う日本人の意見が飛び交っていました。でも私たちは、非常識かも知れませんが、旅行を決行しました。
デルタ航空では、到着する空港が最初の空港から変更されました。会社の昼休みに電話をして、状況を確認しました。エコノミークラスの飛行機でワシントンDCに向かいました。座席は、ガラガラだったので、横になって寝ることができた位でした。
ワシントンDCのスワンハウスと言う宿に滞在しましたが、客は私達だけだったようです。そのため部屋をアップグレードしてくれました。宿にピアノがあったのでアメリカのポップスなどを弾いたら、宿のオーナーさんに喜ばれました。
翌日はスミソニアン博物館をいくつか見て回りました。夫が国立航空宇宙博物館に行きたがったので、まずここに行きました。夫は第2次世界大戦の戦闘機を見たかったようです。私が以前旅行した時に見たエノラゲイ(原爆投下用の戦闘機)は見られなかったと記憶しています。ナショナルギャラリーと国立ホロコースト記念博物館も訪問しました。ホロコースト博物館は、体調が良いときでないと具合が悪くなると思います。
その日のディナーは、知り合いのアメリカ人夫婦とそのご両親と川沿いのレストランで食事をしました。レストラン名は失念しましたが、おいしいお店でした。
ワシントンからニューヨークへは、午前4時出発の飛行機で飛びました。飛行機の中から、無残に崩れ落ちたワールドトレードセンターが見えて、胸が痛くなりました。
ニューヨークの空港からマンハッタンのホテルにタクシーで向かいました。夫が途中でトイレに行きたくなったため、運転手さんにその旨を伝えると「ここにしたらいい」と牛乳パックを差し出されました。さすがにトイレとして使うことはできないので、レストランを見つけてトイレを借りさせてもらいました。
ニューヨークのホテルに到着をしてから、ユニオンステーションのレストランにカキを食べに行きました。味は日本で食べる方がおいしいと思いました。ニューヨークの道路はひっきりなしに消防車が走っていました。夕方に消防車が戻ってくるときは、街の人たちが彼らを拍手で迎えていました。
ミュージカルのライオンキングは、テロと言う非常事態の時にもかかわらず通常通りに上演されていました。通常通りに上演することで、人々に元気を与えていたのだと思います。
現地で暮らしている友達には、同時多発ゼロが起こった現場の近くに案内してもらいました。地下鉄を出て歩いていると、煙の臭いがきつく漂っていました。街を歩いていると地元のアメリカ人に「知り合いを亡くしたのか?」と聞かれました。
自由の女神など閉鎖をしていた施設もあったので、短い滞在時間は、街歩きをして過ごしました。ニューヨークは人種のるつぼだと感じました。治安は良かったと感じました。地下鉄で行き方がわからない時に、ニューヨーカーのお姉さんが親切に教えてくれました。ゴッドファーザーの映画に出てきたイタリア人の町で食べたイタリア料理はおいしかったです。またソーホーにもおいしいデザートの店がありました。セントラルパークの近くで買ったホットドッグもおいしかったです。今アメリカで外食をすると大変高くつくようですが、当時の外食の価格は、日本と大差なかったです。
20年以上前の体験で、手元に写真もほとんど残っていませんが、旅行をキャンセルしないで出かけてよかったと思います。ドキュメンタリーでは悲惨な映像が報道されましたが、現地で暮らしている人たちは、普段と変わりない日常生活をおくろうとしているように見受けられました。
#わたしの旅行記 #同時多発テロ #ニューヨーク #ワシントン
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