トゥルーマン・ショーを見る

言わずと知れた名作映画、ジムキャリー主演。

見たいと思っていて、卒研とかで見れずにいた。とりあえず色々落ち着いて時間ができたので、Netflixのマイリストから消化。

感想

Netflixの映画説明欄の説明を見てしまったことが悔やまれた。

なんの説明もないほうが純粋に楽しめたと思う。

最初の場面数分は情報無しだと意味がわからないはず。鏡に向かってなんか話すジムキャリー、インタビューに答える人々。それが終わると、突然玄関からでて挨拶をするジムキャリー。ここで今までのがプロローグだとは気づくが、意味の理解ができない。

加えて序盤から所々のシーンで画面の周りに黒縁があり、画質も悪いシーンが多々ある。なんか、意味あるんだろうなぁとか思うけどわからないこれも上手い伏線。

ある程度立ったところで、このショーの序盤のインタビューで出てきた人々がちょこちょこ登場する。ここで「どうやらジムキャリーはテレビの中でショーをしているらしい」ということを我々、この映画の視聴者が理解する構造になっている。

全体的にこの構成がよくできている。

なんというか、メタフィクションを扱う小説は文章の中での違和感を伏線にするけれど、これは映画ということでうまく映像の違和感をメタの伏線にしているのは面白いなぁーと。

で、映画内の構造が明らかになった段階でジムキャリーも視聴者と同じく構造に気がつき始める。

ここら辺も上手い。こういう映画は、全てを俯瞰する映画の視聴者になってしまう気がする。けれど、トゥルーマン・ショーは映像の伏線の気づきと主人公の気づきを同様になるよう調節して、全体の俯瞰をしながらも、主人公への感情移入ができるように視聴者を誘導している。

感情移入を促したあと、主人公の恋人との理不尽な別れと淡々と主人公を支配する製作陣の登場。

視聴者はジムキャリーに感情移入し始めているから、製作陣が敵であると認識する。そして、この映画が、変則的でありながら、「支配されし者」と「支配する者」の二項対立的構造であると理解する。

ピースが全てはまり込み、王道的展開に持っていくことで、物語の一般化がなされている。ここからは、ハラハラする展開、逃げるジムキャリー、それを丸めこもうとする製作者陣。そして、最終的にジムキャリーは「TVスターであるトゥルーマンとしての自分」の終わりを意味するお辞儀をして、外の世界へ踏み出していく。

まとめ

なんか、全体的に何言いたいのかわからなくなったので、適当まとめ。(考えを整理する練習をしなきゃならんな)

起承転結上手い。

構成すごい。

視聴者の誘導が上手い

全体的には王道ストーリー、見やすい。

面白い。

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