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震災から10年…③

それから2年くらいたってからですかね。

僕は岩手県にあるその方の石碑に挨拶しようと考えました。

タイミングとして、なんかあの時いけなかったのに今更来るのかよ。

みたいなことを自分でだいぶ考えてしまっていて。

ゴールデンウイークに東北の旅行がてら行こうと決めました。

東北道をこれでもかというくらい走りまして、終点まで走って、そこから下道も長かったですが、何とか岩手県の越喜来という地域に辿り着きました。

当時はでかいダンプとか、小さめのトラックやプロボックスが行き来していました。

石碑のある場所を探しながら、酒を買ってこようと気が付きました。

お酒が好きだったと聞いていたし、石碑の周りにもワインとか酒の瓶が置いてありました。

さっき通った道にスーパーみたいのあったな。そこに向かって車を走らせました。

僕はお酒に詳しくないのですが、ワインぽいものと花束を買って再び石碑に向かいました。

そこでその先輩のご両親とお兄様に会いました。

とてつもない偶然だったと思います。

ともに関東在住で岩手の一か所に約束も何もなく、会ったので。

昼ごはんも夜ご飯もごちそうになり、借りているお宅でその日は泊めてもらいました。

翌日は仙台に行き、徐々に東京に帰って行きました。

これも東日本大震災の記憶でもあります。

もっと言えば、僕の中ではまだまだ続いています。

毎年、石碑には行っていますし、お酒も花も置いています。

石碑は最初の低い位置のまっ平なところから高台に移動していました。

もともと石碑があったところは高く綺麗な防潮堤ができていました。

整備されているのはいいことだけど、なんだか寂しさというか。

これでいいでしょ?と言われているような気持ちになります。

東日本大震災を風化をさせないというのはひとつの目標です。

原発事故とは別だよ?ということも言っていきたいです。

表現力と影響力が必要だと思います。

東日本大震災からプロットを書いたのが『あなたじゃない、誰かの問題』なので、その時思っていたことを吐き出せたのかと思います。

最初は日本全国を擬人化して、福島、岩手、青森のことを書こうと思っていました。

いつの間にか彼らがいじめられている、いじめを見過ごしている人らという設定に変わっていましたね。

多分、東京だったら除染だとか復興だとかこんなに遅れていないだろうし、神戸のように必ず復興できるという人は押しつけがひどいなと思ってしまったのです。

そういう施設、原発だったり、六ヶ所村のような施設を受け入れざるを得ないようなカースト制度があるのかもなと考えました。

長くなりましたが、2021年3月11日ですね。

震災から10年です。

忘れていませんか?

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