東海道NOW&THEN 19 「江尻」
興津から江尻まで1里2町。約4.2km。江尻、現在の清水市。
細井の松原・「無縁さんの碑」から歩いて約15分、秋葉神社への追分、江尻の一里塚を過ぎて宿場の東木戸口。東海道線の清水駅が左に見えると、その向こうに海。
広重の絵は、手前に江尻の宿場。そして清水港、その向こうに三保の松原が画面を横切るように描かれている。正直にいえば、この構図はかなり広重の創造力によるものと思われる。東海道に立つと海は駅の向こうに少しだけ見えます。が、三保の松原は写真のようにはるか彼方。描かれている伊豆の山々もかすんで見えるくらい遠い。広重の構図を取るには、東海道をかなり北へ外れないと見えない。それでも三保の松原がこれほど近くに見えることはない。広重は、それらをすべて取り込んで遠近や拡大・縮尺を大胆にして「江尻・三保遠望」を描いたのだろう。
写真は東海道から離れ、南にある清水駅を通り抜け港へ行き、その最先端で撮ったもの。それでも三保の松原は、これほど遠い。江尻のNOW&THENについては、広重の想像力&創造力に勝てないとだけ言っておきます。
江尻宿の東木戸口に入ってすぐ、「稚児橋」。河童の腰掛石がある。下を流れる巴川に、家康の命で橋が架けられ、その渡り初めの日。主賓が渡ろうとすると、するすると橋げたを上ってきた子どもが先に橋を渡ってしまった。その子は、そのまま川の中に潜り込んでいった。あれは河童に違いないと人々の声。それでこの橋の名を江尻橋ではなく稚児橋とした。のちに、巴川で発見された石は駿府城の石垣用の石が転落したものだとわかり、その石を「河童の腰掛石」と名付けたのだそうだ。
宿場を抜けて、しばらく行くと「是より志三づ道」と刻まれた道標。清水港への追分だ。その近くに観光バスが停まるほどの名代、元禄年間創業の「追分羊羹」がある。さらに、そのすぐそばに「都田吉兵衛供養碑」。ピンときた人は、私同様、時代劇の大ファン。都田吉兵衛、通り名は「都鳥の吉兵衛」。清水次郎長の子分、森の石松を金毘羅代参の帰りにだまし討ちにし、百両以上の金をだまし取った男。弁護しようもないほど、悪いヤツなのだ。時代劇映画の役者でいえば上田吉二郎がうってつけ。あ、わかります?その供養塔とは…。こんな悪人でも憐れむ人はいるらしく、江尻の里人たちが建てたのだそうだ。私も手を合わせましたよ。
ここから草薙の一里塚、草薙神社の大鳥居跡を見て、次の宿場・府中を目指します。
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