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東海道NOW&THEN 2 「品川」

日本橋から品川まで2里。約8km。

 日本橋を出て品川へ。途中、JR田町駅あたりでしょうか、工事中の養生囲いに「江戸開城会見の地」の看板あり。かつてここには薩摩藩蔵屋敷があり、勝海舟と西郷隆盛が江戸城の無血開城について話し合った場所なのだとか。東海道を歩くと歴史に無知な私には勉強になります。そこから、もう少し行くと高輪大木戸跡(高輪ゲートウエイあたり)。江戸の南の出入口。日本全国を測量して歩いた伊能忠敬の測量起点はこの大木戸だといいます。そして品川宿。

 かつて宿場があった場所は、今の京浜急行・北品川駅から新馬場駅にかけての商店街。広重の絵では、東海道に沿って海があります。昔は、このあたりまで海だったのでしょう。実際、地図を見ると海までほぼ1㎞、ただし今はお台場などがあり埋め立てられているわけです。京浜地帯はかなりの部分が、かつては海辺だったと思わされます。さらに、それを感じさせるのが、坂本龍馬の銅像。京浜急行・立会川駅の近くにあります。なんで、こんなところに坂本龍馬が?それも、観光写真でよく知られている高知・桂浜にあるのとそっくり。実は、今では海から離れてしまったこのあたり、かつては江戸湾を目の前にして砲台を作り、外敵から江戸を守っていた。その役目を担ったのが土佐藩の鮫洲屋敷。ペリー来航で世情騒然、この守りが重要となった。龍馬はこの屋敷で守りについた若き藩士のひとり。実はこの銅像は高知のものを参考に作られたのでそっくり。ですが桂浜のものの足元はブーツ、こちらは草履。全国的にも珍しい龍馬像なのだそうだ。


 さて、そこから神奈川宿を目指してさらに歩くと、鈴ヶ森刑場跡。鈴ヶ森というと「お若けぇの、お待ちなさいやし」「待てとおとどめなさりしは」の幡随院長兵衛と白井権八の歌舞伎の名場面。ここは、それだけではなく歴史にうとい私でさえ記憶にある、例えば由比正雪の乱の丸橋忠弥、それに将軍ご落胤騒動の天一坊などが処刑された刑場。おぉっと忘れちゃいけないのは、恋に生きた町娘、八百屋お七も放火の罪でここで火あぶりにされた。

東海道は次の宿場・川崎を目指します。

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