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東海道NOW&THEN 13 「沼津」

三島から沼津まで1里半。約6km。

 三島を出てほどなく「従是西沼津領」と刻まれた「沼津藩傍示石」がある。そのあたりから東海道は狩野川に沿って進む。1kmほどで沼津の一里塚、江戸より20里。沼津城址を右に見て川廓通りを進むと、沼津宿。

 広重の絵は、狩野川に沿って進んだ先に沼津の宿場。現在、東から宿場に向けて歩くと狩野川に沿って堤防があり、そのすぐ横、マンションの前に東海道(下の写真①)。写真を撮って、絵と見比べてみる。絵をよっく見ると宿場の手前に小さな橋がある。実際に東海道を歩いてみると、宿場に入る手前に橋はない。狩野川を横切り東海道と交差する橋はあるが、絵のような橋は東海道にはない。沼津宿を通り抜けて西見附の先の信号の下に、小さな川があり橋がかかっている。舗装に埋もれるようで、それとはわからない。絵が示すのは、橋を渡って沼津の宿場。狩野川に沿ってはいないが、絵の橋はこれだろうか…半信半疑で西から見た写真を1枚。それが下の写真②。

 それでも、どうも釈然としない。数か月後、ちょっとしたきっかけがあり、沼津市文化財センターに問い合わせてみた。「絵に描かれた橋は石を3枚使って造られた橋で三枚橋といい、狩野川に合流する貉川にかかっていた。貉川は現在、暗渠となっているので、絵のような風景を見ることはできない。ただ三枚橋の跡はわずかに残されているはず」との回答。それで後日、再度沼津へ立ち寄り三枚橋を探した。見つけたのが、広重の絵と並べてある写真。写真中央右の小さな石の欄干だけが残されて、昔日の面影はない。この欄干の先をすぐ左に折れると写真①となる。
 沼津の西見附を出ると、すぐ左に千本浜公園。千本松原だ。狩野川河口から次の宿場・原の少し先、田子の浦までの約15km、駿河湾沿いに松林が続く。大正時代に一部伐採の計画が立てられたが、当時沼津に暮らしていた歌人・若山牧水が先頭に立って反対運動を進め、伐採を撤回させた。有名な話だそうだ。

 次の原へは、千本松原・駿河湾沿いに約6km。沼津から原へ歩くなら、東海道から1本海に寄った千本街道をお勧めしたい。

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