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東海道NOW&THEN 11 「箱根」

小田原から箱根まで4里8町。約16.6km。

 小田原から箱根そして三島までを箱根八里という。小田原から箱根宿までを東坂、箱根から三島までを西坂。箱根湯本駅の手前を左に折れ三枚橋を渡り、ひたすら上る。坂にはそれぞれ名がついていて、東坂はまず葛原坂、女転シ坂、割石坂、大澤坂、橿原坂、猿滑坂、追込坂、於玉坂、白水坂、天ケ石坂、そして芦ノ湖を目の前にした権現坂。中でも橿原坂は、その険しさから「坂を越ゆるば 苦しくて どんぐりほどの涙がでる」という歌が残っている。

 広重の絵は右下の権現坂に大名行列、芦ノ湖畔に箱根神社が小さく見え、遥か向こうに富士。箱根の山は険しいとはいえ、絵のようにそびえ立つ山はない。だが、箱根の素晴らしさを1枚の絵に収めようとの広重の意図が感じられる。急峻な坂が連続する「天下の嶮」、日本一の山「富士の眺望」、そして芦ノ湖。それらを一つにする想像力豊かな構図。写真は、晴れていれば正面の山の右に富士が見える。右下の赤い鳥居は箱根神社。広重が一つにしようとしたあれこれを私も1枚にと撮ってみたのだが、広重の想像力には勝てませんでした。

 箱根といえば「石畳」。石畳は旅人たちの険しい峠越えを楽にするためと思っていたが、実際に歩くと結構きつい。石が不揃いのうえ、きちんと並べてあるわけではない。だからボコボコして、足を滑らせる。滑らないために余計な力が必要になり疲れる。その点、近代になり新たに再整備されたものは、石を揃え平らかにしてあるので歩きやすい。 

 箱根といえば「雲助」。「雲助」といえば「悪漢」と相場は決まっている。実は雲助とは、箱根では小田原宿の問屋場で働く人足のこと。登録制で、採用されるには3つの条件があった。1つ目は「力が非常に強いこと」。これは当然。2つ目は「荷造りが上手なこと」。荷造りを見ると誰が荷造りしたのかわかるほどだったといい、箱根の雲助の荷造りは京都まで崩れなかったという逸話も残されている。3つ目は、なぜだか「歌がうまいこと」。歌がうまくないと一流の雲助との評判を得ることはできなかったらしい。では、なぜ雲助のイメージが悪くなったのか…、私が子供のころ、大好きだった昭和の懐かし東映時代劇が悪いっと言ってしまいましょう(笑)。
 箱根から三島に向かう西坂は、向坂、赤石坂、釜石坂、風越坂、挟石坂、兜石坂、大枯木坂、小枯木坂、上長坂、こわめし坂、臼転坂、愛宕坂、今井坂。東、西ともにその名からどんな坂なのか想像するのもおもしろい。
 
追記:箱根八里を歩いたのは昨年11月、まだ紅葉が残る時期。小田原を出たときは快晴。それが次第に曇りはじめ、箱根に入るとポツリポツリ降り始める。芦ノ湖までの2時間を残して畑宿で雨脚は激しく、リュックにカバーをかけ私自身はポンチョを着る。畑宿の寄木細工店の軒下でしばらく雨宿りしたが、雨の勢いは増すばかり。結局、畑宿からはバスに乗り元箱根へ。翌日は快晴、畑宿へ戻ってやり直すか、予定通りに三島へ向かうか悩んだが三島へ。
 畑宿からの2時間は、このレポートを始めた6月にあらためて歩き、行程の空白部分を埋めることができた。その日、午前中に元箱根まで歩き、午後は沼津へ。なぜ再び沼津を訪れたのか、それは次々回「沼津」で。


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