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東海道NOW&THEN 8 「平塚」

藤沢から平塚まで3里半。13kmとちょっと。

 藤沢宿を出て1時間ほどで東海道は国道1号線に合流し、さらに2時間ほど歩いて相模川。相模川を渡ると馬入の一里塚。日本橋より15里。平塚宿は目の前。その相模川の少し手前に「弁慶塚」がある。源頼朝らが相模川近くを通りかかったとき、義経とその郎党の亡霊が現れ、頼朝が乗っていた馬が棒立ち。落馬した頼朝は大怪我を負い、翌年その怪我がもとで亡くなったといわれる。義経一族の慰霊のために建立されたのが、この弁慶塚。前回の藤沢宿の「義経首洗井戸」同様、鎌倉が近いこの辺りには頼朝や義経にまつわる伝説にこと欠かない。

 広重の絵は、平塚宿の上方(京)見附から西を望んだ構図。正面に見えるのは高麗山。後ろに隠れるように小さく、真白き富士。手前にあるのは、上方見附であることを示す棒杭。現在の上方見附から高麗山を望むと、残念ながら多くの建築物に阻まれて富士は見えない。

 東海道から1本南(平塚駅側)に入ると「お菊塚」がある。「番町皿屋敷」のお菊だ。お菊は平塚宿の役人の娘で、行儀見習いのために旗本・青山主膳の屋敷に奉公。何かの間違いがあり(皿を割ったなど諸説あり)手討ちになる。亡骸は親元に返されたが罪人の墓を立てることは許されず、父親は木を1本植えて墓標としたという。今、お菊塚は平塚駅前の飲食街の中の小さな公園に埋もれるようにたたずんでいる。

 復元された平塚宿江戸見附の前に、私と同年代のご夫婦。手には東海道歩きのガイドブック。話しかけてみると鹿児島から来たという。日本橋を発って今日で3日目。何度かに分けて東海道を踏破したい、明日帰る前に今回はなんとか箱根まで行きたいのだとか。わが身を振り返り、東海道を歩く人は多いのだと実感。

 平塚宿の上方見附を出ると、大磯宿はすぐそこだ。

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