見出し画像

読書感想文②「死にそうだけど生きてます」

死にそうだけど生きてます」(2022)
ヒオカ 著 / CCCメディアハウス 出版
請求記号:368.2 (貧困.スラム.どや街.浮浪者.ホームレス)
・・・貧困で分類されたかな

あらすじ
生まれながらに貧しく、勉強はできたが体が弱い。
母は好きだったが父とは折り合いが悪く、中学ではいじめに遭いフリースクールに通いながら進学校に進学し、やっとの思いで希望大学に入学するも貧困と中学時代のいじめによる対人関係への不安、重なる体調不良で四苦八苦。就職活動はうまくいかず、さらに体調が悪化し、将来どころか明日への不安で前も見えず、そんな時にコロナなんて流行るからもう・・・。
そんな著者が振り返った自分の半生の中で浮かび上がる「普通と違った50のこと」。そうして思考した14の断片を読み解く。

これを読んで、「もっとつらい思いをしている人がいる」という人もいると思う。勉強ができたんだからいいじゃないか、とか、そんな壮絶ないじめじゃなかったんだから良かったじゃないかとか、もっと身の丈に合った選択をすればここまで苦労しなかったんじゃないかとか・・・。
思わなくもない。ただ、それは私やその人がこの問題の当事者じゃないから、ここから続く人生に何の責任もないから言えることであって、そういう人に限ってその場に放り出されたら何もできずに野たれ死ぬんだろうな、と思うと責任がないってなんて素晴らしく愚かなんだろうと鼻で笑ってしまうところですが、それで終わらせてはいけないのがこういう問題なわけで。

そもそも日本で貧困を考えるのって難しいよな、とは常々思っていました。可視化されていないというか、「私貧しいです!」なんて公言する人はもちろんいないし、家を探してる時にも思ったけれど、同じような環境の人間が同じようなコミュニティに集まりがちだからこそ、その中にいる限りそこから外れた世界には目を向けづらいといいますか、まあこぼれますよね。
興味がないと言えばそれまでですが、あえて苦しいことに目を向けることは問題意識がない限りないだろうし、それだって触れてやっと芽生えるナイーブなものでもあるし。

私が貧困について考えるきっかけになったのは福澤徹三さんの『東京難民』という本でした。大学を除籍された主人公があれよあれよという間に人生を転落していき、ついにはホームレスに・・・というさらっと書くと荒唐無稽に響くお話だったのですが、そう思わせないリアリティに引き込まれて、気がついたら関連図書を読み漁ってました。
貧困、そんな遠い問題ではありません。むしろ、私だってちょっと気を抜けば足を踏み入れることになる浅瀬でした。

そして思ったことが、「貧困」の認識が私も含めみんな大きくずれているな、ということ。
日本人が「貧困」と聞いて想像するのは発展途上国で見られるような必要最低限の生活水準が満たされていない、今日明日の命さえも危うい「絶対的貧困」だけれども、今の私たちの足元に広がっているのは、日本という国の生活水準のなかで比較した時に大多数のそれよりも大幅に下回って貧しい状態である「相対的貧困」。そこでまず、「貧困」という問題を考えるその立脚点がずれにずれてしまっている。
さらに厄介なのは、前者のみを貧困と捉えがちな(というか相対的貧困を知らない?)日本国民は後者の貧困を認めず、あろうことかその状況に陥ったのは本人のせいなどとのたまう始末。「親が貧しくても本人が頑張ればいい」、「進学せずに働けばいい」、「親など頼らずに自分で奮起すればいい」・・・それをしないお前が悪い。

いやいや無理よ?進学しないで就職するその先がどれくらいあって、そこから得られる給与で未成年にどんな生活ができると思ってんのよ。よしんば親と同居していたとして、お金がないから就職してんだから家庭の生活を支えるのはその未成年が稼いだお金よ?貯まるどころか搾取される可能性の方が高いのよ?家出てたとして仕事しながら生活費払いながら自己管理しながらを早ければそれを中卒でやれと?頑張れって?今までさんざん頑張ってきてるのに?
とまあ、学生に限らずシングルマザー・ファーザー、高齢者、低所得者、その現状を知らないままに「頑張れお化け」を押しつけられて、その状況にもうまいっちゃいますよ。

私の現状、2歳と0歳の子どもを抱えていても、仕事はアルバイトなので保育園にも簡単には入れません、少なくとも今住んでいる自治体では。両親フルタイムじゃないとまず無理ですと言われてます。じゃあ無認可に入れろって言います?それ、いくらかかるか知ってます?頑張って9時-17時フルタイムで働いて急いでお迎えに行ってやっと帰ってきたと思ったら子どもの世話で一日が終わって、また朝早く子どもを預けて・・・そうして働いた給与がどれくらい手元に残ると思います?てか、どれだけ働けると思います?
私、今年42歳になるなかなかのおばさんですけど、0歳児見ながら2歳児相手しながら、夕食作りながらお風呂の算段してミルクのタイミング計りながら洗濯物干して、帰ってきたおじさんのご飯作って(ここ省きたいんですけど)、子どもとちょっと遊んだらもう寝る時間で、歯磨きして寝かしつけして、夜間授乳して、そのまま起きて朝の支度して・・・・・・え、無間地獄ですか?

まあ、旦那が協力してくれれば地獄も緩和されましょうが、うちのおじさんはそういうの皆無なんで期待してません。やっても文句ばっかりでストレス溜まるんで無視&放置です。最近では、これがいないほうが生活楽になるんじゃね?と常々思うまでになりましたが、それでもいないよりマシな瞬間はあるにはあるので甘んじております。いつか切り捨てたいです。

さて閑話休題。でもそういう家、多いと思います。「手伝う」感覚の役に立たないでっかい子どもを抱えて、疲弊しているお母さんが支えるギリギリ貧困家庭。プチ相対的貧困と申しましょうか、1ヶ月分の給与が入らなくなったら途端に崩壊してしまうような、崖っぷち家庭。
かくいううちもその部類です。

アルバイト先の社長がいい人で、産休・育休を薦めていただき、現在取得中の身ですが、アルバイト、産休中はお休みがもらえるだけで補償はないんですよ。産休中の手当金は加入している社会保険から出るらしく、夫の扶養で夫の会社の社会保険に入っている妻(つまり私)は会社の従業員じゃないから保証対象外なんですって。
えーーーーーーーーーー!!!!!!
何ヶ月無給になるん???無職じゃないだけマシだけど、それでも無給は生活回らん。私の稼ぎがイコール生活費なんだから!!
頭真っ白になりました。貯金ないんだから生活できん、マジで。ということで、臨月でしたが産休返上でギリギリまで働きました。はい、生活かかってますから。
それくらいしないと生きていけないんですもん。というか、それでもまったく足りないので、親戚がくれた出産祝いがそのまま横流しされました。出産の時の保険金も生活費に消えました。読んで字のごとく、身を削って生活してます。まあ主に、私の身ですけど。
旦那はそこの危機感全くありませんでしたけどね。。家計知らんから楽なもんですよね。煙草やめろや全く(グチグチ)・・・みたいな生活なんです。

多分、ぱっと見はそこまで貧しくはありません。まあ生活の仕方にもあると思いますが、いつもカツカツ常にハラハラではないものの、ちょっと押されればすぐに崩れる砂の城です。

そして多分、そういう家はそんなに珍しくない。
見えていないだけで、結構な割合で存在する。

昔読んだ貧困関連の本で「クラスで3.4人は相対的貧困家庭である」とありました。地域差もあるでしょうし、すべてに当てはまる数字ではないとしても、それを読んだ時に思ったことは「私の乗っているこの電車の車両の中に、それに当てはまる人がいる」ということ。見た目にはまったく分からないものの、貧困は確かにそこにある。
この、「目に見えない」が本当に曲者。

幸運なことに、私は体が丈夫だったので妊娠中も現在もトラブルなく過ごせてますし、職場にも恵まれて産休・育休を使いながら0歳児の世話もクリアできてますし、なんなら2人目は手がかからな過ぎてめっちゃ休暇ありがとうな日々となっておりますが、むしろこんな私の日常のほうがレアなケース
だと思うのです。
つわりで動けない妊婦さんや出産まで入院しなければならない事だって妊娠にはあります。産んだら産んだで体が休まる間もなく育児に追われ不眠不休でフラフラなケースも聞きますし、そこに子どもの夜泣きや授乳トラブル、成長不安・・・そこに来て復職の算段やそれに伴う保育園の手配、合間に子どもの予防接種や定期検診。あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、その合間にお金も稼がなきゃ。

これってもう根性論ではどうにもならないと思うのは私だけですかね。
まあ、それでも「頑張れ」って言う人はいるでしょうし、そこは自分でも頑張ろうとは思っていますが、もうそういう問題でもない気がするんですけどね。

特に大きく何かを動かしてほしいわけではないんです。いえ、動くのであればごっそり動かしてくれてもいいんですけど、ただそれ以上に、寄り添ってほしいんですよ。辛かったね、大変だったねって、労ってほしいんですよ。
それは個人でも一緒で私は旦那にこれを強く求めますが。その先にはきっと「協力」があるから。

その人が何を辛いと感じ、どこに不安を抱え、どう助けてほしいのか、寄り添えば見えてくる先で「協力」してくれたら、こんなに心強いものはない。

・・・・・・結局、諸々の問題って他人を思いやる優しさの有無ですべて解決できちゃうのかしらね。バファリン効くかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?