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【競馬】スマートファルコンが師匠と呼ばれるようになった経緯【スマファル師匠】

※イラスト:あひる(白) 様

個人的08世代(牡馬クラシック組)の回顧録
「伝説の08世代」も興味あればどうぞ。


スマートファルコン  08世代

ウマ娘に登場する人気キャラクター”ファル子”の元ネタの競走馬。
スマートファルコンこと「スマファル師匠」はスマファルが現役の頃、主にインターネット掲示板やTwitter等で呼ばれていた呼称である。スマファルが引退して10年経つが今でも師匠と呼ぶ人は意外と多いと思う。
ネットで競馬関連のネタを見るような、いわゆる競馬オタク界隈ではスマートファルコン=師匠の認知率はとても高かった。
ウマ娘ファンがツインターボの事を師匠と呼ぶように、皆「師匠」や「スマファル師匠」と呼んでいた。

「師匠」とちらほら耳にするようになったのはスマートファルコンが地方の交流G3やG2に出るようになってしばらくしてから。2009年のダートG1をスルーし始めた頃からだと思う。
2008年秋、スマファルがまだ3歳の頃に陣営が直々にダートG1(交流G1)に出る為の賞金を稼ぐ為に当分は交流のG3とG2をメインに出るとどっかの記事に載っていたハズ…

日本競馬のダート路線は種牡馬になれる馬も少なく高齢になっても現役で走り続ける馬が多い。そのため歴戦の猛者がなかなか引退せずダートG1は賞金ボーダーが高くなり出走するのが難しくなるのだ。(交流G1だと出走枠が少なく、中央G1より更にボーダーは高くなる)
だからこそ当分賞金を稼ぐために交流のG3&G2へ行く陣営の戦略も当然であり、賞金を稼がないと目標のG1には出られないのだから何もおかしい事では無いのだ。

ただ、違和感を覚え始めたのは交流戦を3勝4勝したあたりからだろうか。
普通、交流重賞を数回勝てばG1に出る為の賞金ボーダーはクリアできるのだがいつまで経ってもG1に出ようとしない。
交流重賞を勝ちまくってるので賞金は余裕で足りるはずなのに。かしわ記念、帝王賞、南部杯、JBC、JCD、東京大賞典、川崎記念、フェブラリー全部回避してしまう。
それどころかJCDを回避して浦和記念に出走、かしわ記念を回避してかきつばた記念に出走。このあたりで交流のG3とG2のみ狙い撃つ、競馬ゲームの序盤で誰もがよくやる勝てるレースだけを選んで出て、強い馬とは絶対に戦いたくないでござる。という強い意思がハッキリと見て取れたのだ。

これには競馬オタクは大激怒し、アンチが大量発生、競馬板のスマファルスレがアンチしか居なくなる状態に。
そしてスマートファルコンには強者から逃げ、弱いもの虐めが大好きな「師匠」というあだ名が付く。誰が言い出したのかはわからないがいつの間にか呼ばれだし瞬く間に浸透していったという感じ。

スマファルよりちょっと前に出遅れの神様こと06世代のマルカシェンクが一部から”師匠”や”シェンク師匠”と呼ばれていたのでそこから来てる可能性が高い。シェンク師匠はペルーサルーラーシップの師匠でもあるが、スマファルと違って嫌われていたと言う事は一切ない。
当時はシェンク師匠のスタートを見るためだけに競馬場へ行く猛者も居たくらい熱狂的なファンがいた。

⇩一時期大人気だったシェンク師匠の華麗なる職人芸は一見の価値あり⇩


2chのインターネットミームとしての【師匠】と言えば、サッカー鈴木隆行師匠が大元の元祖ネタで1番有名だと思うが。
もう1人のネットで有名な師匠、海外サッカー選手のフェルナンド・トーレスが師匠と呼ばれだしたのはチェルシー移籍後の2011年。スマファル師匠は2009年か2010年には呼ばれていたのでトーレスよりスマートファルコンの方が師匠呼びは恐らく早いと思う。

スマートファルコンが最後に出たG1が2008年11月3日のJBCスプリント
そこから約1年半、交流G2とG3を狩り尽くすがG1だけは1度も出ず、やっと出て来たのが2010年6月30日の帝王賞。もう8歳になってしまったダート最強世代筆頭の雷帝カネヒキリヴァーミリアンとはこれが最初で最後の顔合わせだった。カネヒキリ達の05世代と師匠達の08世代は近年のダート最強世代として真っ先に挙がる2世代だけに、もっと早くに戦って欲しかったと残念に思う人多かったと思う。

アジュディミツオーカネヒキリヴァーミリアンアロンダイト、(フラムドパシオン)、フリオーソサクセスブロッケンエスポ君、そしてスマファル師匠。この辺が一同に介するレースが見たかった。

G3G2とは違い本当に強い相手と久々に戦うことになった師匠はこの帝王賞で案の定惨敗し今まで以上に火に油を注ぐ事となる。
しかし帝王賞の次走、交流G2なのにトランセンドフリオーソというG1級の相手とまたしても戦うことになってしまった日本テレビ盃(G2)で武豊を背に何かキッカケを掴んだのか3着に入る。
更に次走のJBCクラシック(G1)で別馬になったかの如く逃げて1着。そこからはもう圧勝&楽勝の連続で、強者から逃げる卑怯者⇨バカ逃げ圧勝レコード勝ちするアホみたいな意味も「師匠」に込められるようになった感がある。

最終的に出た中央G1は転厩する前、関東時代の皐月賞のみでフェブラリーやJCDには結局1度も出なかったため交流G1を圧勝し続けてもその辺を嫌う人がやっぱり多かった。

【知ってた速報】スマファル師匠、JCDを回避へ

最後の方は競馬板でこんなスレばっかりだった記憶がある。
でも最後の最後に当時の世界的流行でダートからオールウェザーに変わったドバイへ行ったのはびっくりした。中央には出ないのにドバイへ行くのかと。(一部ではJRAから赤紙が来てドバイへ徴兵されたネタがあった)
あの時はアンチも盛り上がって応援してた人多いんじゃないかな。
Twitterでスマファル師匠て検索して2012年頃のつぶやきを見ると結構期待されてるから興味ある人は昔を遡って見てみると良いかも。

【砂のサイレンススズカ】
これは当時こんな事言われてなかったと言う人とても多いと思う。しかしスマファルの大逃げ無双が始まって以降どっかの競馬雑誌だったかネットの競馬の記事だったかで”砂のサイレンススズカ”て書かれていたのは当時自分も見てるし覚えている。
ただ実際に言ってる人、ネットで砂のサイレンスズカをアピールしてる人を見た事は1度もない。これはカネヒキリの雷帝、オルフェーヴルの暴君みたいに競馬オタでも良く使われる二つ名という訳でもなかった。ネットでは圧倒的に師匠やスマファル師匠の方が呼ばれてると思うし師匠の方が当時は認識されていたと思う。
似たような話で01世代のクロフネの事を白いセクレタリアトと言われた云々はJCD圧勝後の当時、自分も聞いた事はあった。


【個人的ネットの思い出話】
G1を勝ってない馬、交流G3に籠もってる馬というのは一般的に知名度も低く地味でファンどころかアンチすらできないのが大半だと思う。
スマファルがまだG1に出ずに交流G3どさ回りしていた頃。G1馬じゃないのに、ダートの交流G3を勝ってるだけの馬なのに、ネットにアンチがこんなに多かった馬はスマートファルコン以外に自分は見たことが無い。
オペやディープやエルグラスペはじめ、ネットにアンチが多い馬てのはそれ以上にファンや基地が多いのが普通なのだが。師匠が全力でG1をスルーしていた頃は殆どアンチしかいない状態で、ローテに肯定的だったりG1に全く出ない事を擁護するようなスマファル信者、いわゆるスマファル基地を自分は見たことが無かったし聞いたこともない。98世代関連やディープやウオスカのような信者vsアンチのバトルは競馬板ではほぼ無かったと言っていいだろう。
現役当時(特に交流G1を勝つ前)のスマファル師匠はヒール役と言う意味では最上級の扱いで悪い意味で本当に格が違った。自分はライスシャワーをリアルタイムで見ていないがそれ以上だったんじゃないかなぁと思う。(ライスはそもそもG1馬、というかクラシックホース)
交流戦限定で中央へは出て来ないから、ライト層がスマファルの存在を知らない可能性もあったし尚更ファンができる要素が少なかったのかもしれない。

しかし当時から考えると今ではスマファル師匠は良い意味でネタキャラに昇華できたと思う。もう10年前の話だから師匠のアンチも大分減ったし、ウマ娘に08世代の代表として抜擢されウマドルの”ファル子”になったのだから。
でもファルコはまた有名なトウショウファルコがいるし、ウマ娘のアプリで使われる二つ名”砂の隼”も有名なナリタハヤブサがいるしでウマ娘でもやっぱり師匠は師匠だった。

師匠の魅力は世界を超える


競馬板のスマファル関連スレ 

2009年頃のはログが消えて探せないので既に大逃げ無双が始まってる2011年以降のみ


アンチの巣窟と化した師匠個別スレ


師匠、引退前の2012年ドバイ遠征頃


日本の古馬ダートG1級勝利数を数えました
⇩以下参照⇩


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