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馬のランチ

母は言った
「死にゆく男が遺すべきものはガムシガレットの噛みかけ、とても小さな土地、顔を塗りつぶした写真、歯の模型」
おれは産まれてきてすぐにそれを理解した
鋼鉄の頭ん中にある老人からくり抜いた脳みそがそうさせた

おれが16になったころ母はおれを家から追い出した
娼婦だった母にはおれは仕事の邪魔だったし、乾いたガラス球のような目には情などなかった
爆発スパンキーよろしく、おれは髪をおったてて革ジャンを着込んだアンドロイドの青年として生きていくわけだ
やばいぜ、汚ねえトイレの鏡に映るおれはまったくもって映画の主役のようなかなしみをたたえている
なんだってやるさ ポケットの中のナイフは錆びついて今にも泣いてしまいそうだ
町に溢れるガソリン中毒者、肌の色をカメレオンみたいに変える新人類、いつでもブルーな国家公務員、どこにも属しないおれは虐待されたネズミ
おれはどこで生きてどこで野垂れ死のうか
ただひとつ、母の言葉の切れ端を忘れないでいた
「死にゆく男が遺すべきものはガムシガレットの噛みかけ、とても小さな土地、顔を塗りつぶした写真、歯の模型…」

おれはムズムズする
頭のなかにミントタブレットをぶち込まれたみたいに冴えて、脳みその、言ってみりゃ管の塊が自分の重さに耐えきれず揺れ続ける

その夜は冷たい雨が降った
ドラム缶の中で燃え盛る火が弾けた雨に当たるといい音を立てた
高架下は馬鹿みたいに寒くて酔っ払いが繰り返し歌う昔のうたを聴いていると吐き気がした
太陽が顔を出した時なんかみんな大声をあげて歓迎した
おれもそうした ほんとうに嬉しかったんだ

歯をハンカチで拭いて、稲妻の色をした車に唾を吐きかけて、ひとんちに配達されたミルクを盗んで飲む
「こころがねえよな、こころがよ」
ポストをめちゃくちゃに踏み潰しておれは少し泣いていた気がする
国境を越えて砂と熱とアルコールを試しに行こうと決めて
オレンジの農園の働き手を乗せるトラックの荷台に乗り込むと同じような顔した奴らが不幸はまさにここにありますといった顔で下ばかり向いていた
荒野をしばらく走ると野良の馬が並走するように駆けていた
おれは立ち上がって叫ぶ、風を感じるために

休憩だと言われて囚人みたいに規則正しく降りるやつらはポケットからガムを取り出して歯茎に塗り込める
ひとつ寄越してもらって歯茎に塗り込む
重量級のボクサーのパンチを喰らったぐらい目眩がしてすぐにブラックアウトした

起きると辺りは暗くトラックもいなくなっていた
時々通る車も止まってくれやしない
おれは歩く 熱い国を目指してひたすら歩く
凍りついて乾いた空気が肺に釣り針を刺してめちゃくちゃに暴れる
何故かチューリップのことばかり考えた
それしかないと思った
永遠に思えたが太陽がまたおれたちを裏切らずにのぼり
おれは人生でいちばん大きな声をあげた
今度は耐えられないぐらい暑くなった
通りかかったオープンカーから女がビールを投げて寄越した
うまくキャッチできずに地面でバウンドすると泡が吹き出してきた
必死でそいつを流し込む
天使の涙、カバの汗…

そこからしばらく歩いたが
思い出ばかりが早回しの映画みたいに繰り返されて気が変になっちまった
「限界だ…」
汗だってもうでやしない
目を閉じてまた開けて前を向くと遠くから鏡かなんかで光を飛ばしてくるものがある
そこまで歩こう そこまで行こう
植物の様子も変わってきた 砂の質もさっきまでと違う気がする
光の発生源に近くなるとそれが流線型の銀色の建物だと気づく
「ダイナーだ」
おれは走り出す
奇妙な走り方だ、子供の頃の足取りの軽さだ
蝶が熱射病で死んでいた
それをポケットに突っ込んだ
やっとのことでダイナーに着き、飛び込んだ
金もないのに食べたいものを食べたいだけ注文した
水を飲んで、待っていると次々に料理が運ばれてくる
おれはそれを飲み込むようにどんどん口に突っ込む
その様子を見ていたウェイトレスの女がもうひとりのウェイトレスに笑いながら呟いた
知らない国の言葉だった
「なんて言ったのか教えてくれるかい」
「あなたって馬みたいって言ったのよ」

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