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人間関係の話

サムネイルの顔文字が可愛くかけて満足している僕です。こんにちは。

今回のnoteは面白くないです。今とてもテンションが高いならその気分を害するかもしれませんので、読むことはお勧めしないです。なぜならこれは、僕自身が経験した不愉快な出来事を経て感じたことを記したもので、そこにまとわりつく負のオーラがあなたを蝕むことになるかもしれません。
知らんけど。

人と人の関係性ってとても脆弱で流動的なものだと思います。なぜならそこに確たる物理的存在はなく、どんなに長い時を共に過ごし、どんなに言葉を交わしても、お互いに共通の認識を持つ、厳密にいうならば、同一の心象を持つということは不可能だからです。つまり必ず当人たちの間で齟齬が生じている状態が根本的にあるからです。然し、悲観する必要は全くないです。それは絶対的不可能として僕たちが潜在的に抱えるものであり、良好な人間関係の構築にそれを克服する必要はないからです。

ただし、絶対に看過してはいけない観点があります。
それは価値観・思考の強制をするということ。

僕たちは会話するにしろ議論するにしろ、自身の知識や習慣、経験をバックグラウンドとして持ち、その積み重ねが大きければ大きいほど、他者について“判断”してしまう側面が強くなると思います。則ち、自分にとって目新しい考えや情報を、「学ぶ対象」とするか「忌む対象」とするか、「快」か「不快」か。白黒つけようとしてしまうのです。

ある種の正常性バイアスが働いているといっても差し支えないでしょう。加えて、一定数の人がしがちであるのは、相手方のバックグラウンドへの理解に努めずして自分の枠に当てはめようとすることです。そうでもしないと己が否定されたように感じ、剰え攻撃的になる人もいます。自身の理解の範疇を超えた時に、許容することができず、エゴイズムの権化と化してしまう人は意外にも多いです。

僕自身、僕ととある友人の仲の良さについて、周囲が勝手に「解釈・吹聴・流布する」という一連のパレードが開催され、TwitterやInstagramで僕と その友人に対する罵詈雑言をまざまざと見せられたということがありました(話は大分端折った)。
無論、火のないところに煙は云々とも言いますし、一定の責任は僕にあるとはいえ、(最強メンタルと名高い僕の心を以ってしても)正直傷つきました。
他人の信憑性もない伝聞を鵜呑みにし、平気で他人を傷つけるような極めて短絡的で脳味噌の存在に疑義が浮かぶような人を友達と思っていたかつての僕が悪いのでしょうね(皮肉100%)

少し話がそれましたが、僕は
「個々人に違いがあることを理解し、柔軟な視点を持つことが大事だよね」
ということが言いたかったのです。シンプルだが、シンプルだから難しい。
(あれ?今までの文章要らなくないか🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔🤔)これは人間関係に関わらず森羅万象に言えるとも思います。頑張ろう。

偉そうに書き連ねていますが、僕自身それらを反面教師として自戒も込めています故、お手柔らかにお願いします。
そして僕がそのような状態になっている時は、お尻を蹴り上げに来てください。


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