物語を書くヒントになるかもしれん古典

物語を書くヒントになるかもしれんと、一つ、古典を紐解いての命の考え方の一つを記してみる。

両親は、直接命を繋いでくれた父母。
大父母、生命のおおもとは、天地(宇宙と地球)とのこと。
今現在この世のありとあらゆる生物は、何十億年かけて分かれた一つの命の子孫。

令和元年この世に生きとる人は当たり前に、両親から受け継いだ命。
その両親にも両親がおって、その両親も… と、さかのぼれば、いつだか両性生殖以前に、さらには細胞分裂しとった頃まで続き、最終的には、地球ではじめての生命の子孫かとも考えれる。

江戸時代の医学を記す文献にある命の考え方の見方、これを真実とは言わんけど、実に面白い。

その中でも、人は萬物の禮やそうな。
鳥獣虫魚、植物など… 命の形は色々あっても、哀れみの心を持って心として伝え行動できるのは人とある。

現在の生理学の教科書には、個体の生命体の内部環境の恒常性の維持機能、付属的に生殖機能を説明しとる。

しかし、江戸時代の医学は、ひと味違う捉え方で面白い。

人の身体は、一時期、命を預かるための器、その身体は、父母より命を授かり、赤子の頃から死ぬまで、父母の養いとこの世の生命、天地の恵みにて養われ保たれとる。

家や服、化学製品とて、原料の石油も太古の生物の亡骸より作られとるし、太陽光や月、火星の資源を使ったとしても、天地の恵みに違いないんと。

この身体という命の器は、個人のものでなく父母天地に養われた借り物、ほやけん、自分の意思でむやみに傷つけたらいかんと。

面白い事に、命は繋いで行くもの、身体は借り物、ほしたら、自分の意思で使えるもんは何かというと、心らしい。

その心の中に魂はあって、心を自然から逆らう使い方をすると、魂はけがれていく。

「心気体」心と命と体は、それぞれ別のものらしい。


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