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家訓

聖学須勤


 凡そ、人たるものは、聖人の教えを貴び受け、強く志を立て、人の道を学び知り、勤め行いて、君子とならん事を思い、常に心にかけて怠るべからず。
これ聖学に志すの道なり。
其の学問の法は、書き読み古を考え、人に問い己に思い、人の諫め戒めを聴き用い、常に我が愚かなる事を知り、わが不善なる事を知り、わが過ちを改めて善に移るべし。
君子之過ち也如日月之食焉、過也人皆見之、更也人皆仰之。
また、小人之過ち也、必ず文る。
過ちを恥じて蔽い隠すは、小人の心なり、甚だ卑しい。
古語に云、人非聖人誰能無過ち、過ちて而能改善莫大焉といえり。
仮にも我を智ありとし、善なりと思うべからず。
わが身の力をたのみて、人を愚なりとし、侮るべからず。
諌めを拒ぎ、我を是とすべからず。
人至て愚なりといえども、一事の善なき事あたわず。
故に、愚人の言をも理あるは取り用ゆべし。
われを智ありとする者は、必ず愚人なり。
我を善なりとする者は、必ず悪人なり。
悪を知る者は、大悪にあらず。
人を侮りる者は、必ず天の咎あり、人の恨みあり。
我に学問・知恵・芸能ありとも、是れ皆、わが分内の事なれば、矜るべき事にあらず。
必ず是れを、自慢し、人を侮るべからず。
古の君子は、聡明・叡智なれども、これを守るに愚を以てす。
況んや、末世の凡人、僅かなる才能に矜るは、かた腹いたき事なり。
甚だ卑しい。
我に善あり能ありとも、自ら衒い、自ら褒むべからず。
其の善に矜れば其の善を喪う、其の能に矜れば其の能を喪う。
自慢するを、ほこるというは、矜は、ほこると読めり。
矜かれば、其の心自ら是として、過ちを改め、善に移る事あたわず。
自ら智ありとして、人の諫めを用いず。
故に、悪日々に長じ、善日々に消える。
故に、例え聖人と同居し、朝夕教えを受けるとも、其の身に益なし。
或いは、萬巻の書を読み、学問すれ共、其の身に益なきのみに非ず、驕慢の心を助けて自ら高大にし、才をたのみて人を侮る助けとする故に、却って大なる害となる。
是れを以て矜は、天下の悪徳なりと、古人の誡め明らかなり。
学問する者、第一是れを戒むべし。
又、矜なれば必ず剛愎なり、剛愎とは、性剛き事なり。
剛愎なれば諫めを防ぎ、非を遂げて身を亡す、愚人也。
又、我が身をへりくだり、高ぶらざるを謙という。
謙なれば、我が身の愚なる事を知り、足らざるを知りて従い、才智徳行あれども人に矜らず、智を以て愚に問い、多きを以て少なきに問い、好んで人の諫めを聴いて、我が過ちを改める故に、智を開き善に進むこと極まりなし、此の故に、古人、謙を以て天下の美徳とす。
学問をせば、先づ、矜を去り謙を用い、志を内に厚くし、外を勤めず、眞實に我が身の為にして、人の為にせざるを以て、教えを受ける基とすべし。

  幼兒須教


 凡そ、小児を教え育てるに、始めて飯を食い、初めてものを言い、扨人の面を見て、悦び怒る色を知る程より、常に絶え間なく教えれば、ややおとなしくなりて、誡める事無く易し。
故に、小児は、早く教えるべし。
教え、誡める事、遅くして、悪癖に成りては、改める事なり難し。
悪事多く聞き馴れぬれば、後には、善事を教えても移らず、偽れる事、驕り、肆なる事を早く戒めて、必ず許すべからず。
幼より人を欺き偽る事を、つよく咎むべし。
又、幼子を欺きて、偽りを教えるべからず。
大やう小児の悪しくなりぬれば、父母・乳母・傅き馴れる人の、教えの道知らず、其の子の本性を損なえる故なり。
暫し啼き聲を止めんとて、此れを得さすべし、彼を与うべしなどと賺して、誠なき事なれば、即ち是れ偽りを教えるなり。
又、恐ろしき事どもにて、よりより、おどしいれれば、後には臆病の癖となる。
武士の子は、殊に是れを戒むべし。
又、小児の才行・芸能を誉めれば、驕慢の心出来、しばしば誹れば退屈して進まず。
能く教える者は、進めて矜らしめず、教えの道を知らざる人は、萬恣にして、誡むべき事を却って進め、咎むべき事を却って、笑い・悦び、さまざま悪しき事を見聞かせ、言い習わせ仕習わせて、漸く其の悪しき慣わし、年と共に長ずるに至りて、俄に誡めれども、久しく習い染めて、本性の如くなりたれば、聴かず。
是れにおいて、本性悪しく生まれ付きたるとのみ思う事、いと愚なる事ならずや。


 幼き時の教えは、事繁くすべからず。
事繁くして煩労なれば、学問を疎んずるもの也。
難しくして其の氣を屈すべからず。
年数と性質と応ぜざる事を、強いて責むべからず。
年比に随い応じて教ゆべし。
又、生まれ付きを見て、其の過ぎたるを抑え、足らざるを補いて、中に叶わしむべし。
性質の悪しき所を、常に誡め匡すべし。
凡そ、小児を育てるに、義方の訓をなすべし。
姑息の愛をなすべからず。
怠るをゆるす事なかれ、氣随をゆるし、私欲を長ずべからず。


 凡そ、書を習うに、和字・眞草ともに、幼より必ず古の書法、正しき能書を以て手本とすべし。
手本、悪しければ癖付きて、一生手跡拙し、よく選ぶべし。


 士は、事繁き者なれば、一芸一材に長ぜざるのみにては用に立たず、次第を以て博く文の芸を学ぶべし。
文芸は、和禮(書禮・茶禮共に此の内にあり)書法文字の学、算数等なり。
余力あらば、和歌の道、本朝の古實典故、又、醫藥養生の術をも兼ねて学ぶべし。
詩は、日本の風にあらず、故に勝れたる天才なき者は、作るべからず。
学問の巧を費やし、心を苦め、拙けれども自ら其の拙きを知らず、人の誚を得て益なし。
武芸は、剣術・鑓・騎射・鳥銃・拳法等なり。
戦法は、将と士と位によりて学ぶ所、大小の器殊なり。
其の位に切なる事を先とし習うべし。
書を読み芸を習うに、日を惜しみて、時を失わずして、勤め習うべし。
年若く氣憶も強き時、物を能く覚え、習い置きて、一生の身の寶とすべし。
後に悔いるべからず。
古の聖人は、寸陰を惜しみ給いしと也。


 学問をするに、明師・良友を選び事うべし。
師友、悪しければ、学びても後悪しく、一生道を知らず。
よく是れを選ぶべし。
諸芸も亦、然り。


 六歳の正月、始めて数の名と、我が邦の假名を習わしむべし。
伊呂波は、益少なし。
あいうえおの五十字を教ゆべし。
和語に通ずるに利あり。
七歳の時、始めて孝経を読ましめ、孝弟忠信禮儀廉恥の義を教え、又、五常・五輪・三綱・六芸・四民等の名目、多く教え知らしむべし。
一時に多く教ゆべからず。
少し教えてよく覚えさすべし。
都て小児に書を読ましめるは、皆、此の法なり。


 八歳は、古人小学に入りし年なり。
初めて論語を読ましむべし。
幼者に相応せる禮義を教え、辞譲を知らしむべし。
又、和禮を教え、漢字の草書を習わしむべし。


 十歳、小学の書を読ませ、ほぼ其の義理の諭し易く、簡要なる所を説き聞かすべし、又、眞字を習わしむべし。


 十一歳、是れより漸く四書五経等を読ましめ、また文武の芸能をも習わしむべし。


 十五歳は、古人、大学に入りし年なり。
これより専ら義理を学び、己を修め人を治める道を知るべし。
生質遅鈍なりとも、是れより、二十歳迄の間に、小学・四書等の大義に通ずべし。
若し、聡明ならば、博く学び多く知らすべし。

十一
 凡そ、君子の学問は、智仁勇の三徳を本とし、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の五輪を道とすべし。
なかんずく忠孝を重んずべし。
君父の恩を忘るべからず。

十二
 学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。
必ず、天地・聖人の道に背きて、佛氏の教えに従うべからず。
若し、佛氏に従う者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。
故に、天地神明の罪人なるべし。
天道は、至公にして、其の咎め無しといえども、恐るべき事なり。
但し、不仁は、天の責めを身に受け、子孫に報う事、影響の如し、畏るべき事の甚だしきなり。

十三
 凡そ、我子孫たらん者、一生の心法眞實にして私曲なく、人に愛敬有りて、忿を懲らし、慾を窒ぎ、善に移り、過ちを改め、常に天道を恐れ敬うべし。
必ず、疎かに侮る事なかれ。
人の一生の勤めは、唯、天道に仕え奉るべきなり。
天理は、学問して知るべし。
又、正しき神明を敬うべし。
神に諂い瀆して、猥に幸福を求める事なかれ。
神は、非禮を受け給はねば、道なくして幸を祈るに、必ず験し無し。
人の義を務めずして神に求めるは、神の御心に違い、助け無くて責め有り。
至りて愚なるなり。
或人曰く、心だに誠の道に適いなば、祈らずとても神や守らん。

十四
 凡そ、先祖・父母に孝するの道は、奉養・祭禮に限らず、聖学を知り、仁義の道を行い、其の家業を勤めて、其の名を揚げ、父母・先祖の名をあらわすを以て、孝行の道とすべし。
孝経の首章を、よく禮認すべし。

十五
 先祖は、子孫の根本なり。
年季隔り遠しといえども、おもい慕いて尊敬すべし。
時節の祭、愼み厚うすべし。
但し、國法に背くべからず。

十六
 夫れ、子孫は先祖の枝葉なり。
嫡庶の分を正しくし、疎遠といえども、本族を尤も厚く親しむべし。
貧賤なりとも捨てるべからず。
本族とは、父族なり。
父親は、遠しといえども我と同氣なり。
三族の次第は、第一父族、第二母族、第三妻族なり。
故に、母族は、妻族より厚くし、父親は母親より厚くすべし。
一々次第軽重ある事を知るべし。
先祖より、代々系譜を記し傳え、その名と一生の履歴行實を、詳かに偽りなく實録すべし、私して稱譽を過すべからず。
子孫名系譜を記し置きて、先祖よりの統紀を永く断絶すべからず。
功徳ある人は、行状を書かせ、墓表を立つべし。

  士業怠勿


 士は、さむらいと訓ず。
君に仕えて近くさぶらう故なり。
さぶらう、とは、侍るに同じ、伺候する意なり。
故に、和俗には、侍の字を用ゆ。
されども四民の名の時は、士の字を用いるなり。
漢土には、学んで以て位に居る、六書精蘊には、古を学んで管に入る者とあり。
されども、文武の道を学んで官位に居る者を士とす。
文武の道を知らずしては、士の職分反せる故に、士の名有って實なし。
士の字、十に从い、一に从う。
農工商は、家業一筋にて事少なし。
士は、事多き者にて、宇宙の間の事、皆、わが職分の事なれば、その勤める事の多きを以て貫く故に、一を下にせりと古書に見えたり。
士の字の義をかく顧みて、身を守るべし。
士の家業本分をよく勤めて、其の外を願うべからず。
我が身を忘れて人を誚るべからず。
専ら我が悪を責めて、人を責むべからず。
我に背き、我を誚る者あらば、我が身を省みるべし、人を咎むべからず。
我が子孫たる者は、文武の家業をよくわが身に勤め、其の子孫にも必ず教ゆべし。
人生の至要は、子を教えるに如は無し、と古き文にも見えたり。
凡そ、武士となるものは、忠孝義理の志なくしては、武勇缺け、君の為に忠義なり難し。
又、武士の家に生まれ、武芸を知らず、武具を備えず、軍用乏しくしては、心猛くとも備なくして、武勇の勤めなり難し。
故に、武士の道、内には、忠孝義理を以て本とし、外には、武芸を習い、武備乏しからざるを以て勤めとす。
武士として忠孝義理の道を知らず、武芸に疎く、武備無くしては、武士の業を本末とも失い、君をあざむき忠を忘れ、君の祿を食んで其の職に怠るものは、穿窬の盗に等しくして、大なる恥なるべし。
武備は、平生無事の時、心を用い、其の分限に随いて、不足無きように用意すべし。


 平生財用の節なく、侈り費やす事多ければ、財不足する故に、貧窮を救わずして不仁に流れる。
廉恥の心も自ら薄く成って、義理を失い、親戚・朋友の交じり簡略にして禮に背き、人の財物を借りても、償う事ならずして信を失い、軍用乏しくしては、不忠となる。
財を用いる事、宜しきに適わざれば、財不足して悪しき事、斯くの如し、常に身に奉ずる事倹約にして、財を用い過さず、奢りを抑え、費えを省き、入る事を量りて出す事をなし、余財を存じて困窮を救い、不虞に備へ、軍用を助くべし。
古人、三年耕作して一年の食あり、其の祿を四つに分ちて、三つを以て一を残す。
是れ、古、財を制するの法なり。
又、変災なくば、人の財を借らざれ。
借りれば、強く倹約を行い、常に心にかけて早く返すべし。
疎かにすべからず。
人の財物を借りて返さざるは、至りて不義なれば、我が子孫必ず、是れを誡むべし。
此の義を能々守るべし。
また、財多くば人に施すべし。
吝嗇なれば、仁義の道、行われず、不仁不義に成るなり。
夫れ、身に奉ずる事、薄きを倹約として、人に施す事、薄きを吝嗇とす。
倹約は、善にして、吝嗇は、悪なり。
これ天地懸隔ならずや。
愚なる人は、必ず、此の二のものを辨えず、大樣同じ事のように思えり。


 四民の内、士を以て長とす。
故に、士と成るは、大なる幸いなり。
文武の道を学び、身を立て、道を行い、その家を興し、先祖よりの家業を彌保ち守るべし、若し艱厄に値い、貧窮になり、或いは、多病にして、君に仕える事なり難くて、農工商とならん事は、口惜しけれど、義によって業を改めるは、苦しからず。
但し、利の為に父祖の家を捨て、庶民となるべからず。
我が子孫、是れを戒むべし。


 凡そ、身を立てるの道は、忠孝勤倹の四字に在り。
君に仕えて心を盡すを忠とし、能く親に事えるを孝とし、学問・家業に怠らざるを勤という。
約にして奢らざるを倹と云う。
忠孝は、其の分なり、勤倹は家を起こすの法なり。
又、身を保つ道は、智恵を内に含み、人に謙り、言少なく、身を顧みて過ちを改め、己を責めて人を謗らざるに有り。
上を謗らざるは、言うに及ばず。
是れ皆、殃を遁れ身を保つの道なり。


 右の三條は、我が愚蒙の言にあらず、古人の意、又、斯くの如し。
我が子孫たらん人、必ず厚く信じ、愼んで思い、常に心に保ちて守り行うべし。
違背すべからず。
各々、其の子の年、十五に及ばば、此の法を相傳すべし。
若し、幼にして父を喪うものあらば、其の兄及び一族の内の長者、其の孤を教えて、此の法を傳うべし。
常に深く秘して、他人に聞かしむべからず。
各々、其の子も又、其の子に傳えて、萬世に至る迄、永く廃すべからず。
若し、斯の法に背く者あらば、大不幸に堕ちて、我等、泉下に朽ちぬるとも、恨み悪むべき者なり。

  貞享三年甲子八月                 貝原 篤信 書

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