見出し画像

雪白マンション

ご飯を食べていたら、急に物語が浮かんだので
画像は無関係です



雪白マンション


故郷へと戻ってきたのは、実に20年ぶりのことだった。
妻を亡くし、幸か不幸か子供もおらず、一人で関東のベッドタウンで暮らしていた折、母の訃報が届いたからだ。
喪主を務め、弔問に訪れた親戚やいとこ達に対して、いつのまにかすっかりサビのように染み付いた『大人の対応』を繰り返しているうちに滞りなく葬儀は終わってしまった。
ほとんど悲しむ時間などなく、読経の意味を解するでもなく、説法に訳知り顔でうなずいているうちに何もかもが終わり、三々五々で親類たちもまた自らの暮らしに戻っていった。
すっかりガランとなってしまった母の生家。
そこで呆然と過ごす。大した思い出のない家だとおもっていたが、古びたアルバムをめくるとそれなりに写真は残っていた。
それを上京前から過去に遡るように開いているうちに、ふと手が止まった。
そこには自分と一緒に映る、見覚えのない顔があった。
いや……見覚えがないわけではない。
名前もぼんやりと覚えている。
ふと、浮かんだ名を口にすると泡のように記憶が脳髄の奥底から浮かび上がってくる。
喉が渇く。
なぜ忘れていたのだろうか。彼女は幼少の頃、まだ中学に上るまえによく遊んだ隣家の子だった。
あえぐようにペットボトルの蓋をあけて、お茶を喉に流し込む。乱暴に嚥下すると次々と記憶が蘇る。
そう私は過去に彼女の葬儀に出席した。そこで彼女の親に事ひどく罵倒されたのだ。『人殺し』と金切り声をあげて掴みかかってきた『優しいおばさん』の形相を思い出して今更身震いする。
わたしは居ても立ってもいられず、車の鍵を手にした。
かつて住んでいた町はそう遠くなく、一時間も車道に自家用車の轍を作ればたどり着いた。
寂れた町だった。
記憶に残る場所も、記憶から削り取られた見知らぬ場所もある。そうじて寒々しく感じるのは、私に後ろめたさがあるからだろうか?あるいは、友達と呼べる相手を忘れていたことへの罪悪感かも知れない。
かつて父の家だった場所はすでに駐車場になり、ぼうぼうと生えた雑草によって見る影もない。まるで幻のようだ。反して、隣家はまだ形は健在だった。しかし窓ガラスは埃で白く曇り、赤茶けた建材は風雨に長くさらされたのかところどころ腐っていた。空き家なのだろう。
私は記憶を頼りに、かつて遊び回っていたところを歩く。
冬のさなかだ。
背広だけでは少し寒いが、葬儀で摩滅しきった感情を蘇らせるにはほどよいだろう、と結論つけて過去の足跡をおいかけるように歩く。まるで会社をクビになったばかりの初老男性ような風情だが、幸いにして私を見つけるものはいない。
そして、愚かさばかりを握りしめていた少年時代に遊び回っていた裏山へといつしかたどり着いていた。
ここでかくれんぼをした。秘密基地などつくって宝物を隠した。二人だけのささやかな会話を交わした。
どれも他愛ない思い出だ。そして、ある日とつぜん失われた。
この茂みの先にあった白いマンションに忍び込んだとき。
ぶるりと震える。それは寒さだけだったのだろうか。もはや秘密基地だった名残はなく、ただ冬枯れた木々に覆われた茂みを抜ける。
そこは空き地だった。荒れただけの更地だった。もちろん真っ白なマンションなどない。
彼女が入り、そのまま陽炎のようにいずこかへと消えてしまったマンションなどどこにも存在しないのだ。
バカバカしい、どうせ都合よく記憶を書き換えてしまったのだ。
私はかつての自分を信じなかった大人たち同様に、過去の自分の妄言を切りすてる。マンションが突然消えるはずがない。影すらないマンションなどあるはずがない。
考える間でもない。幼き日の彼女は、どこかで失踪して愚かだった私はそれを認めきれず妄想に囚われただけなのだ。
帰ろう、と踵をかえそうとしたときハラリと白いものが肩に落ちた。
雪だ。寒いと思っていたら、とうとう降り出したようだ。
そしてゾッとした。寒さにではない。
さっきまで空き地だった場所に、いつのまにか生まれていた真っ白いマンションにだ。
病的なまでに白く、いっさいの陰影すらも見当たらない。入り口の開閉式のガラス戸を除けば、景色を白く塗りつぶしたような印象すらうける。
あ、と喉から声が漏れた。
正面から見える三階の廊下に人影が見えたからだ。どこにでもいる普通の主婦のようだった。彼女は私に気づくと軽く会釈をした。そして隣の家をノックするのがみえる。
私はフラフラと白いマンションに近づく。
恐怖よりも、その正体が気になったからだ。このマンションで何があったのか、どうして幼い友人は消えてしまったのか。そんなことが今更ながら気になって仕方なかったのだ。
バカなことをすべきではない、と心の中の冷静な部分が叫んでいる。だが火がついた思いは容赦なく両足をマンションに近づけていく。
思いの外に軽い感触とともにガラス戸が開き、生ぬるい内側の空気が白髪混じりの髪を撫でた。
そうして、私は長いときの隔ててふたたび、雪のように、死者の肌のように白いマンションへと足を踏み入れたのだった。
雪は、まだ降っている。
いまは、まだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?